、ただに表現と生活との中間のみの深淵とは限らず、生活に於ける人間の深淵と、それを表現した場合に於ける深淵と、三重に複合して来るのであってみれば、小量の短篇では、よほどの大天才といえども、純粋小説を書くということは不可能なことになって来る。なおその上に、純粋小説としての思想の肉化を企てねば、高貴な現代文学が望めないとするなら、なおさら、百枚や二百枚の短篇ではどうするわけにもいかない。
 しかし、ここで、一度小説というものの、生い立ちを考えて見るべき用が起って来る。私は純粋小説は、今までの純文学の作品を高めることではなく、今までの通俗小説を高めたものだと思う方が強いのであるが、しかし、それも一概にそのようには云い切れないところがあるので、純文学にして通俗小説というような、一番に誤解される代りに、聡明《そうめい》な人には直ちに理解せられる云い方をしてみたのだけれども、それはさておき、近代小説の生成というものは、その昔、物語を書こうとした意志と、日記を書きつけようとした意志とが、別々に成長して来て、裁判の方法がつかなくなったところへもって、物語を書くことこそ文学だとして来て迷わなかった創造的な
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