番に私の胸を打つ。ところが、わが国の文人は、亜細亜のことよりヨーロッパの事の方をよく知っているのである。日本文学の伝統とは、フランス文学であり、ロシア文学だ。もうこの上、日本から日本人としての純粋小説が現れなければ、むしろ作家は筆を折るに如《し》くはあるまい。近ごろ、英国では十八世紀の通俗小説として通っていたトムジョーンズという作品が、純粋小説として英国文壇で復活して来たということだが、我国の通俗小説の中にも、念入りに験《しら》べたなら、あるいは純粋小説があるのかもしれない。このごろ私はスタンダールのパルムの僧院を贈られたので読んでいるが、これは純粋小説の見本ともいうべきものだ。この作者は「赤と黒」とを書いているとき、すでにトムジョーンズを読みつつ書いたといわれただけあって、この「パルム」も原色を多分に用いた大通俗小説である。もし日本の文壇にこの小説が現れたら、直ちに通俗小説として一蹴《いっしゅう》せられるにちがいあるまい。純文学を救うものは純文学ではなく、通俗小説を救うものも、絶対に通俗小説ではない。等しく純粋小説に向って両道から攻略して行けば、必ず結果は良くなるに定っていると思う。
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