七階の運動
横光利一

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)お幣《さつ》をくばつて
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 今日は昨日の続きである。エレベーターは吐瀉を続けた。チヨコレートの中へ飛び込む女。靴下の中へ潜つた女。ロープモンタントにオペラパツク。パラソルの垣の中から顔を出したのは能子である。コンパクトの中の懐中鏡。石鹸の土手に続いた帽子の柱。ステツキの林をとり巻いた羽根枕、香水の山の中で競子は朝から放蕩した。人波は財布とナイフの中を奥へ奥へと流れて行く。缶詰の谷と靴の崖。リボンとレースが花の中へ登つてゐる。
 久慈は進行して来る紙幣の群れを掴みながら、競子の視線を避けてゐた。香水の中から彼女の瞳がカウンターヘ反発する。
「あなた、いいわ。」
「今は午前だ。」
 パラソルの中で、能子の微笑が痛快がる。新婚の若夫婦の眼前で、青春とはかくの如し、とぽんぽん羽根枕を叩きながら、
「ええ、ええ、これならお丈夫でございますわ。」
 無論、能子には覚えはない。昨夜は競子と久慈を張り合つて帰つて来た。邪魔をするのが目的だ。久慈を愛してゐるが故ではない。誇らかな競子の半世紀遅れた肉感を、嶄新な諧
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