なたのお店がいけないんだわ。あたしは気取つたことなんかしてゐると、首の骨が痛み出すの。あたしは動かないでじつとしてると、草のやうになつて了つて風邪をひくの。」
「それや野蛮だ。」
「あたしは野蛮人が大好きよ。あの裸体姿を見てゐると、身体が風のやうに拡つて飛びたくなるの。」
「君には進化と云ふものがないからだ。もし僕が君だつたら、首を縊るより仕方がない。」
「あら、あなたには進化がないから、そんなことを仰言るんだわ。野蛮人を軽蔑するのは、文明人の欠点よ。」
「それなら君は、自分の親父と結婚するに限るのだ。」
「まア、あなたは、結婚とはどんなことだか御存知ないと見えるわね。」
「冗談はよし給へ。これでもまだ結婚だけはしたことがないんだよ。」
「ぢや、どうぞ御自由にして頂戴。あたしはそのとき、そつとあなたのお顔を見て上げるわ。そしたらあなたは、きつと野蛮人のやうなお顔をなすつて、まア結婚なんて、だいたい、こんなものさつて仰言るわ。」
「それなら僕と、結婚してみるのが一番だ。」
「まア、そんなに恐はさうなお顔で仰言らなくても、あたし、結婚なんかいたしませんわ。」
「いや、結婚すると云ふことは、こんなに骨の折れることだとは思はなかつた。さあどうぞ。」
 久慈の示した部屋の方へ、能子は扇子を使ひながら、ひらひら笑つた仮面のやうに這入つていつた。久慈は部屋の羽根枕にもたれかかると、黙つて能子の膝を軽く指さきで叩き出した。
「あなたは、あたしの着物が、よほどお気に召さないと見えるのね。これでもあたしは、あなたのお店でいただいたものなのよ」
「いや、これがそれほど大切な着物なら、いま一枚上げてもいい。」
「ええ、どうぞ、あたしはあなたとお逢ひしてると、着物がほしくて仕方がないの。これはきつと、あなたが上品なせゐなのね。もしあなたが野蛮人だつたら、あたしはあなたの前で、裸体になつて踊つてみるわ。」
「僕は一度君のさう云ふ所も見たいのだ。」
「まア、あなたはさう云ふときだけは、野蛮人に好意をお持ちなさるのね。」
「かう云ふ羽根枕の上へ並んだら、もう野蛮人の話だけはよし給へ。」
 久慈の片手が能子の胴に絡らんで来た。能子は久慈の膝の上へ飛び移ると、櫓を漕ぐやうに身体を前後に揺り動した。彼女の頭にささつたクリリツカスのヘヤピンが、久慈の眼鏡をひつ掻いた。彼は顔を顰めながら彼女の唇の方へ自分の
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