「ふむ赤子か、どうして死んだ?」
 すると男の子は羞しそうな顔をして馳《か》け出《だ》そうとした。彼は男の子の手首を素早く握った。
 「なアどうしてだ、うむ、いったら豪《えら》いぞ。」
 が、男の子はやはり答えずに彼の握った手を振り放そうとして口を歪《ゆが》めた。
 彼は少し恐い顔をして手首を放した。男の子は逃げもせずそろそろと電車道まで来ると、レールの上へ跨《また》がって腰を下ろした。
 彼はその方を向かないようにして草の中に蹲《しゃが》んでいると、男の子は向うから、
 「教えてやろうか、なア?」といい出した。
 「アア教えてくれ、どうして死んだんだ?」
 男の子は硝子《ガラス》の破片でレールの錆《さび》を落しながら暫く黙っていてから、
 「いやや。」とまたいった。
 彼は男の子を黙って見詰めていた。すると、
 「お母アが乳で殺さはったんや。」とその子はいった。
 「乳でってどうしてだ?」
 「あのな、昼寝してて殺さはったんや。」
 彼には全く何のことだか解らなかったので子供の顔を見続けていた。男の子は何《な》ぜだか眩《まぶ》しそうな顔をしてちょっと彼を見上げると、急に向うの方へ馳け出した。
 暫くして彼は、男の子の母親が赤子に添い寝をしていて乳房《ちぶさ》で鼻孔《びこう》を閉塞《へいそく》させたのだと近所の人から教わった。そんな殺し方は彼には初耳だった。が、なるほどと思った。それから急に彼は姉の乳房が気になり出した。
 次の日彼は姉の家へ出かけて行くと直ぐそのことを話した。
 「そりゃ死ぬわさ。ようあることや。」と姉はいった。
 「知ってたのか。」
 「そんなこと知らんでどうする、末っちゃんは私《あて》を子供見たいに思うてるのやな。何んでも知ってるえ私《うち》ら。」
 そういって姉は笑った。彼は少し安心が出来た。が、その直ぐ後で姉は、幸子と三日違いに生れた隣家の赤子が三日前に肺炎で亡くなったということや、久吉の友人の赤子も今肺炎にかかっていてもう医者に手を放されたということを話した。
 「やれやれ。」と彼は思った。生き続けて大きくなってゆくということは、よほどむずかしいことのように思われて気が重苦しくなってしまった。
 二、三日してから彼は上京した。上京する時ちょっと姉の家へ寄ると、久吉の友人の赤子がとうとう死んだと聞いた。彼は淋しくなった。縁側に立っていると、隣家から赤子の回向《えこう》の鉦《かね》の音が聞えて来た。初秋の涼しい夜だ。すると、
 「昔|丹波《たんば》の大江山《おおえやま》。」と子供の歌う声がして、急に鉦はそれと調子を合せて早く叩かれた。
 「阿呆《あほ》やな。」と直ぐ母親らしい叱る声がした。
 彼がこちらで笑い出すと、おりかも何処か暗い処で笑い出した。

     九

 次の春の休暇に帰って彼が姉の家へ着いた時、幸子は彼の母の膝の上で、一枚の新聞を両手で三度に引き破っている所だった。
 「ソラ。」
 彼は玩具《おもちゃ》の包みを炬燵《こたつ》の上へ置くと、自分も母や姉のように蒲団《ふとん》の中へ足を入れた。母は包みを解いて中からセルロイドの人形を出した。
 「そうれユウちゃん。兄さんがな。」
 「兄さんやない叔父さんやはなア。」と姉は幸子を見ていった。
 「アそかそか、叔父さんがな、遠い所でこんなにええ物|買《こ》うて来ておくれはった。アーええこと、ソーラ。」
 彼の母が人形を差し出すと幸子は祖母の顔と人形とを暫《しばら》く交《かわ》り番《ばん》こに眺めていてから、そろそろと人形の方へ手を出した。
 「あの顔。」といっておりかは笑った。そして、自分でまた別の猿の頭をゴムで作った小さい玩具を出して幸子の鼻の前へ持っていった。
 「そうれユウちゃん、こんどは猿《えて》さん。」
 するとおりかは猿の頭を押したと見えて、猿の口から細長い袋になっている赤い舌が飛び出した。幸子は眼をパチパチさせて反《そ》り返《かえ》ったが、頭が母の胸で止《と》められると眼をつむって横を向いてしまった。皆が笑った。が、彼は疲れていたのでひとり恐《こわ》い顔をして、
 「大きゅうなったね。」と一口言った。
 「そう、大きゅうなってる? お母さん、ユウが大きゅうなったって。」
 と姉は傍にいる母にいってきかせた。
 「そりゃ大きゅうなってるわさ。」
 「そうかしら、ちっとも大きゅうなったように見えやへんけど、傍にいるでやな。」と姉は嬉しそうにいった。

     十

 二、三日して前《さき》に日向《ひゅうが》へ行っている彼の父から母に早く来いといって来た。母は孫の傍から離れてゆくのを厭《いや》がったがとうとう行くことになった。
 出発の時、汽車の窓から首を出している彼女の前には、久吉とおりかと、おりかの肩から顔を出している幸子とそ
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