がら、いささかの羞《は》ずかしさのために顔を染めてはいたものの、傲然《ごうぜん》とした足つきで出ていった、それは丁度、長い酷使と粗食との生活に対して反抗した模範を示すかのように。その出て行くときの彼女の礼節を無視した様子には、確《たしか》に、長らく彼女を虐《いじ》めた病人と病院とに復讎《ふくしゅう》したかのような快感が、悠々《ゆうゆう》と彼女の肩に現われていた。

       六

 梅雨期が近づき出すと、ここの花園の心配はこの院内のことばかりではなくなって来た。麓《ふもと》の海村には、その村全体の生活を支えている大きな漁場がひかえていた。上に肺病院を頂《いただ》いた漁場の魚の売れ行きは拡大するより、縮小するのが、より確実な運命にちがいない。麓の活躍した心臓を圧迫するか、頂の死《し》に逝《ゆ》く肺臓を黙殺するか、この二つの背反に波打って村は二派に分れていた。既に決定せられたがように、譬《たと》えこの頂きに療院が許されたとしても、それは同時に尽《ことごと》くの麓の心臓が恐怖を忘れた故ではなかった。
 間もなく、これらの腐敗した肺臓を恐れる心臓は、頂の花園を苦しめ出した。彼らは花園に接近
前へ 次へ
全30ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング