黒い菌のように転がっている所が浮んで来る。恐らくその無数の腐りかかった肺臓は、低い街々の陽《ひ》のあたらぬ屋根裏や塵埃溜《ごみため》や、それともまたは、歯車の噛《か》み合《あ》う機械や飲食店の積み重なった器物の中へ、胞子を無数に撒《ま》きながら、この丘の花園の中へ寄り集って来たものに相違ない。しかし、これらの憐れにも死に逝《ゆ》く肺臓の穴を防ぎとめ、再び生き生きと活動させて巷《ちまた》の中へ送り出すここの花園の院長は、もとは、彼の助けているその無数の腐りかかった肺臓のように、死を宣告された腐った肺臓を持っていた。一の傷ついた肺臓が、自身の回復した喜びとして、その回復期の続く限り、無数の傷ついた肺臓を助けて行く。これが、この花園の中で呼吸している肺臓の特種な運動の体系であった。

       五

 ここの花園の中では、新鮮な空気と日光と愛と豊富な食物と安眠とが最も必要とされていた。ここでは夜と雲とが現われない限り、病舎に影を投げかけるものは屋根だけだった。食物は海と山との調味豊かな品々が時に従って華やかな色彩で食慾を増進させた。空気は晴れ渡った空と海と山との三色の緑の色素の中から湧《わ》き上《あが》った。物音とてはしんしんと耳の痛む静けさと、時には娯楽室からかすかに上るミヌエットと、患者の咳《せき》と、花壇の中で花瓣の上に降りかかる忍びやかな噴水の音ぐらいにすぎなかった。そうして、愛は? 愛は都会の優れた医院から抜擢《ばってき》された看護婦たちの清浄な白衣の中に、五月の徴風のように流れていた。
 しかし、愛はいつのときでも曲者《くせもの》である。この花園の中でただ無為に空と海と花とを眺めながら、傍近く寄るものが、もしも五月の微風のように爽《さわや》かであったなら、そこに柔かな愛慾の実のなることは明かな物理である。しかし、ここの花園では愛恋は毒薬であった。もしも恋慕が花に交って花開くなら、やがてそのものは花のように散るであろう。何《な》ぜなら、この丘の空と花との明るさは、巷の恋に代った安らかさを病人に与えるために他ならない。もしも彼らの間に恋の花が咲いたなら、間もなく彼らを取り巻く花と空との明るさはその綿々《めんめん》とした異曲のために曇るであろう。だが、この空と花との美しき情趣の中で、華やかな女のさざめきが微笑のように迫るなら、愛慾に落ちないものは石であった。この
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