一頁に一つずつ先ず前の軍人から始めて二枚目に糞《くそ》を落している馬を描いた。しかし、馬の尾を高く上げていいかどうかと迷わされた。そして、結局、細い勢の好い滝のような曲った尾を付けて納得した。次には姉の顔を画いた。下頬《したほお》の膨らんだ円い輪廓《りんかく》を幾度も画き直してから眼鼻をつけて最後に鼻柱の真中へ黒子《ほくろ》を一つ打った。そうして出来上った南瓜《かぼちゃ》のような顔の横へ「ネーサンノカオ」と書いておいた。その顔を眺めていると、姉の黒子は黒いが画の方は白いと気が付いた。そして、それを黒くすると姉の顔に一層似つかわしくなるであろうと考えたけれどどうすれば黒くなるかという方法が分らなかったのでそのままにしておいた。
九時が打つともう米は眠たくなった。奥から母の笑い声が聞えて来た。いつも奥で寝ている彼は、今夜は何処で寝て好いのか知らなかった。すると、また、昨夜眼を醒した時の母と男との囁《ささや》きを思い出した。そして、学校の帰り道に石橋の上へ書いた楽書《らくがき》を消したかどうかと気がかりになって来た。それは消したようでもあるし消さないようにも思われた。
母が奥から出て来たとき、
「何処で寝るの。」
と米は訊いた。
「アそうそ、お前もう眠な。」
母はそういうと直ぐ奥へ引き返して行った。そして奥の間で「些《ち》っと失礼します。」といって蒲団《ふとん》を米の横へ持って出て来てから、楕円形の提灯《ちょうちん》に火を照《つ》けた。蝋燭《ろうそく》は四|寸《すん》ほどもあった。
「お前提灯持って二階へお上り。」
と母はいった。子が階段を昇ると母はその後から蒲団を擁《かか》えて昇った。
母が蒲団を敷いている間、子は灯《ひ》が消えないように提灯をさげていた。「お母さんも寝な恐《こ》わい。」と子はいった。
「直ぐ来るえ。直《じ》っきや。」と母はいった。子はそれきり何ともいわなかった。母は梯子《はしご》の中頃まで降りると「寝る時灯を消しな、え。」といった。子は「うん。」といって灯のついたままの提灯を畳んで枕もとに置いてから、母について降りた。そして鉢へ冷《さ》めた鉄壜《てつびん》の湯をいっぱい注《つ》いで、それを再び二階へ持って来て枕元の提灯の傍へおいた。寝巻を着返《きが》えて蒲団の中へは入ると子は俯伏《うつぶ》せになって、川の水でも飲むような格好で一口鉢
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