に悲しめられた名残りの悲しみであるのか、それとも被告自身の秘めた行為を意識しての悲しみであるのか明瞭に見極めることが出来なかつた。そして、最早や判事は自分の疑ひを確証するいかなる方法をも案出することが出来なくなると、やむなくその日の審問はそれで終らなければならなかつた。
その夜判事は床へ這入るとまたその日の審問を思ひ廻らした。――事実、被告は酔漢を突き飛ばしたものであらうか、それとも酔漢の死は被告の云つたやうに偶然の死であつたか――それにしても被告は自身に危険な言葉に対して、何ぜあれほども敏感であり得たか。それにも拘らず何ぜあれほど白々しく先手を打つて出て来たか。この二つの反した態度を審問に応じて巧みに変化さし得た被告を思ふと、判事の疑ひは又深まりかけた。しかし、一方は落されまいとし、一方は落さうと努めなければならない場合が場合であるだけに、それを感じた以上守らうとすることに専念する被告の気持ちはいづれ正当なものにちがひなかつた。所詮判事は昼の迷ひを迷ひ続ける以外に何の得る所もなくなつた。しかし、それかと云つて一度は判決を下さなければならない以上そのままに捨てて置くわけにもいかなか
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