って単なる記憶に頼るほかなくなってからでも毫も混錯しないで、一々個々の筋道を分けておのおの結末を着けたのは、例えば名将の隊伍を整えて軍を収むるが如くである。第九輯巻四十九以下は全篇の結末を着けるためであるから勢いダレる気味があって往々閑却されるが、例えば信乃が故主成氏《こしゅうしげうじ》の俘《とら》われを釈《と》かれて国へ帰るを送っていよいよ明日は別れるという前夕、故主に謁《えつ》して折からのそぼ降る雨の徒々《つれづれ》を慰めつつ改めて宝剣を献じて亡父の志を果す一条の如き、大塚匠作《おおつかしょうさく》父子の孤忠および芳流閣の終曲として余情|嫋々《じょうじょう》たる限りなき詩趣がある。また例えば金光寺門前の狐竜の化石(第九輯巻五十一)延命院の牡丹の弁(同五十二)の如き、馬琴の得意の涅覓論であるが、馬琴としては因縁因果の解決を与えたのである。馬琴の人生観や宇宙観の批評は別問題として、『八犬伝』は馬琴の哲学諸相を綜合具象した馬琴|宗《しゅう》の根本経典である。
三 『八犬伝』総括評
だが、有体《ありてい》に平たくいうと、初めから二十八年と予定して稿を起したのではない。読
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