チとトロ火で油煎《あぶらいり》されるように痛めつけられたら精も根も竭《つ》きて節々《ふしぶし》までグタグタになってしまうと、恐れを成さずにはいられまい。馬琴がアレだけの学問技能を抱いて、アレだけの大仕事をして、アレだけの愛読者、崇拝者を持ちながら近づくものが少なくて孤立したのはあの気難かし屋からである。馬琴の剛愎高慢は名代《なだい》のもので、同時代のものは皆人もなげなる態度に腹を立ったものだそうだが、剛愎高慢は威張らして置けば済むからかえって御《ぎょ》し易《やす》いが、些細な問題にいちいち角を立ててその上にイツマデも根に葉に持っていられたり、あるいは意地悪婆さんの嫁いびりのように、ネチネチ、チクチクとやられてはとても助からない。和田君の校訂本を読んだものは誰も直ぐ気が付くが、馬琴の家の下婢の出代りの頻繁なのは殆んど応接に遑《いとま》あらずだ。その度毎に給金の前渡しや貸越が必ず附帯する。それんばかしの金をくれてしまったらと思うが、馬琴は寸毫も仮借しない。いちいち請人を呼びつけて厳重に談じつける。鄙吝《ひりん》でもあったろうが、鄙吝よりは下女風情に甘く嘗《な》められてはという難《むず》かし屋の理窟屋の腹の虫が承知しないのだ。一体馬琴の女房のお百というがなかなかの難物らしかったが、その上に主翁の馬琴が偏屈人の小言幸兵衛《こごとこうべえ》と来ては女中の尻の据わらなかったのも無理はない。馬琴の家庭は日記の上では一年中低気圧に脅かされ通しで、春風|駘蕩《たいとう》というような長閑《のどか》なユックリとした日は一日もなかったようだ。老妻お百と※[#「女+息」、第4水準2−5−70]《よめ》のお道との三角葛藤はしばしば問題となるが、馬琴に後暗い弱点がなくとも一家の主人が些細な家事にまでアア七《しち》むずかしい理窟をこねるようでは家が悶《も》める。馬琴はただに他人ばかりでなく家族にさえも余り喜ばれなかった苛細冷酷な偏屈者であった。
 一言すれば理窟ばかりで、面白味も温味《あたたかみ》もない冷たい重苦しい感じのする人物だった。世辞も愛嬌もないブッキラ棒な無愛想な男だった。崇拝者も相応に多くて、遥々遠方から会いに来る人もあったが、木で鼻を括《くく》ったような態度で面白くもない講釈を聞かされ、まかり間違えば叱言《こごと》を喰ったり揚足を取られたりするから一度で懲り懲りしてしまう。アレだけ綿
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