の一例である。

       四 『八犬伝』の歴史地理

 馬琴は博覧強記を称されもすれば自ら任じもした。殊に歴史地理の考証については該博精透なる尋究を以て聞えていた。正当なる歴史を標榜する史籍さえ往々|不穿鑿《ふせんさく》なる史実を伝えて毫も怪しまない時代であるから、ましてや稗官《はいかん》野乗《やじょう》がいい加減な出鱈目《でたらめ》を列べるのも少しも不思議はない。馬琴自身が決して歴史の参考書として小説を作ったのでないのは明らかで、多少の歴史上の錯誤があったからとて何ら文芸上の価値を累《るい》するに足らないのである。馬琴の作が考証|精覈《せいかく》で歴史上または地理上の調査が行届いてるなぞと感服するのは贔屓《ひいき》の引倒しで、馬琴に取ってはこの上もない難有《ありがた》迷惑であろう。ただ馬琴は平素の博覧癖から何事も精《くわ》しく調査したらしく思われる処に損もあり得もある。『房総志料』を唯一の手品の種子《たね》箱とする『八犬伝』の歴史地理の穿鑿の如きはそもそも言うものの誤りである。余り偏痴気論を振り廻したくないが、世間には存外な贔屓の引き倒しもあるから、ただ一個条憎まれ口を叩いておこう。(無論『八犬伝』の光輝はソンナ大向うの半畳《はんじょう》で曇らされるのではない。)
 金碗大輔《かなまりだいすけ》が八房《やつふさ》もろとも伏姫をも二つ玉で撃留《うちと》めたのはこの長物語の序開きをするセラエヴォの一発となってるが、日本に鉄砲が伝来したのが天文十二年であるは小学校の教科書にも載ってる。もっとも天文十二年説は疑問で、数年前にも数回歴史家の間に論争されたが、たといそれ以前に渡ったものがあったにしてもそれよりおよそ八十年前の(伏姫が死んだ年の)長禄《ちょうろく》の二年に房州の田舎武士の金碗大輔がドコから鉄砲を手に入れたろう。これを始めに『八犬伝』には余り頻繁に鉄砲が出過ぎる。白井の城下で道節が上杉勢に囲まれた時も鉄砲足軽が筒を揃えて道節に迫った、曳手《ひくて》・単節《ひとよ》が荒芽山《あらめやま》を落ちる時も野武士に鉄砲で追われた、網苧《あしお》の鵙平《もずへい》茶屋にも鉄砲が掛けてあった、甲斐の石和《いさわ》の山の中で荘官|木工作《むくさく》が泡雪奈四郎《あわゆきなしろう》に鉄砲で射殺《うちころ》された。大詰の大戦争の駢馬三連車も人を驚かせるが、この踊り屋台《やたい》
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