見の天海《てんかい》たる丶大《ちゆだい》や防禦使の大角《だいかく》まで引っ張り出して幕下でも勤まる端役を振り当てた下《した》ごしらえは大掛りだが、肝腎の合戦は音音《おとね》が仁田山晋六《にたやましんろく》の船を燔《や》いたのが一番壮烈で、数千の兵船を焼いたというが児供《こども》の水鉄砲くらいの感じしか与えない。扇谷家第一の猛者|小幡東良《おばたはるよし》が能登守教経《のとのかみのりつね》然たる働きをするほかは、里見勢も上杉勢も根ッから動いていない。定正がアッチへ逃げたりコッチへ逃げたりするのも曹操《そうそう》が周瑜《しゅうゆ》に追われては孔明《こうめい》の智なきを笑うたびに伏兵が起る如き巧妙な作才が無い。軍記物語の作者としての馬琴は到底『三国志』の著者の沓《くつ》の紐《ひも》を解くの力もない。とはいうものの『八犬伝』の舞台をして規模雄大の感あらしめるのはこの両管領との合戦記であるから、最後の幕を飾る場面としてまんざら無用でないかも知れない。
 が、『八犬伝』は、前にもいう通り第八輯で最高頂に達し、第九輯巻二十一の百三十一回の八犬具足で終わっている。それより以下は八犬後談で、切り離すべきである。(私の梗概がその以下に及ばないのはこの理由からである。)『八犬伝』の本道は大塚から市川《いちかわ》・行徳《ぎょうとこ》[#ルビの「ぎょうとこ」はママ]・荒芽山《あらめやま》と迂廻して穂北《ほきた》へ達する一線である。その中心点が大塚と行徳と荒芽山である。野州路《やしゅうじ》や越後路《えちごじ》はその裏道で甲斐《かい》の石和《いさわ》や武蔵《むさし》の石浜《いしはま》は横路である。富山や京都は全く別系統であって、富山が八犬の発祥地であるほかには本筋には何の連鎖もない。地理的にいえば、大塚と行徳と荒芽との三地点から縄を引っ張った三角帯が『八犬伝』の本舞台であって、この本舞台に登場しない犬江(親兵衛は行徳に顔を出すがマダ子役であって一人前になっていない)・犬村・犬阪の三犬士は役割からはむしろスケ役である。なかんずく、その中心となるのは信乃と道節とで、『八犬伝』中最も興味の深い主要の役目を勤めるのは常にこの二人である。
 一体八犬士は余り完全過ぎる。『水滸伝』中には、鶏を盗むを得意とする時遷《じせん》のような雑輩を除いても黒旋風《こくせんぷう》のような怒って乱暴するほかには取柄《とりえ
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