看板が掛っていたのを記憶している。小生は朝に晩に其家の前を何度も通行した。此の小さな格子戸の中で日本の出版界の革命が計劃されていたとは誰しも想像しなかったろう。
「日本大家論集」という博文館の最初の試みの雑誌が物議を生じた。其結果、出版法だか新聞雑誌条例だかの一部が修正された。博文館は少くも世間を騒がし驚かした一事に於て成功した。小生は此の「大家論集」の愛読者であった。小生ばかりでなく、当時の貧乏なる読書生は皆此の「大家論集」の恩恵を感謝したであろう。
博文館が此の揺籃地たる本郷弓町を離れて日本橋の本町――今の場所では無い、日本銀行の筋向うである――に転じたのは、之より二年を経たる明治二十二年であったと記憶する。博文館の活動は之から以後一層目鮮しかったので、事毎に出版界のレコードを破った。茲で小生は博文館の頌徳表を書くのでないから、一々繰返して讃美する必要は無いが、博文館が日本の雑誌界に大飛躍を試みて、従来半ば道楽仕事であった雑誌をビジネスとして立派に確立するを得せしめ、且雑誌の編纂及び寄書に対する報酬をも厚うして、夫までは殆んど道楽だった操觚《そうこ》をしてプロフェッショナルとして
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