呪ったりするは文学の為めにもならなければ国家の為めにも亦不祥である。
そこで、左も右くも今日、文学が職業として成立し、多くの文人中には大臣の園遊会に招かれて絹帽《シルクハット》を被って出掛けるものも一人や二人あるようになったのは、文人の社会的位置が昔から比べて重くなった証拠であるが、我々は猶お進んで職業上の権利を主張し、社会上の勢力を張らねばならぬ。社会をして文人の存在を認めしめたゞけでは足りない。更に進んで文人の権威を認めしめるように一大努力をしなければならぬ。
小生は今は文学論をするツモリでないから、現在の文学其ものに就ては余り多くを云わない。唯、文学論としてよりは小生一個の希望――文学に対する註文を有体に云うと、今日の享楽主義又は耽美主義の底には、沈痛なる人生の叫びを蔵しているのを認めないではないが、何処かに浮気な態度があって昔の硯友社や根岸党と同一気脈を伝うるのを慊《あきた》らず思ってる。咏嘆したり長※[#「※」は「口+喜」、第3水準1−15−18、読みは「き」、191−4]したり冷罵したり苦笑したりするも宜かろう。が、人生の説明者たり群集の木鐸たる文人はヨリ以上冷静なる態
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