ある。渠等が幅を利かすは本屋や遊里や一つ仲間の遊民に対する場合だけであって、社会的には袋物屋さん下駄屋さん差配さんたるより外仕方が無かったのである。
 斯ういう生活に能く熟している渠等文人は、小説や院本は戯作というような下らぬもので無いという事が坪内君や何かのお庇で解って来ても、社会的には職業として完全に独立出来ず、位置も資格も権力も無い遊民と見られていても当然の事として少しも怪まなかった。加うるに持って生れた通人病や粋人癖から求めて社会から遠ざかって、浮世を茶にしてシャレに送るのを高しとする風があった。当時の硯友社や根岸党の連中の態度は皆是であった。
 尤も伝来の遺習が脱け切れなかった為めでもあるが、一つには職業としての文学の存立が依然として難かしいのが有力なる大原因となっておる。今より二十何年前にはイクラ文人が努力しても、文人としての収入は智力上遥に劣ってる労働階級にすら及ばないゆえ、他の生活の道を求めて文学を片商売とするか、或は初めから社会上の位置を度外して浮世を茶にして自ら慰めるより外仕方が無かったのである。
 勿論、今日と雖も文人の生活は猶お頗る困難であるが二十何年前には新聞
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