々は終に電車も電灯も瓦斯も電話も水道も無い、有らゆる文明から全く塗絶された僻遠の地に引込まねばならないかも知れない。我々はアイノ人のように段々奥へ奥へと追払われるのだ。
▲親から貰う学費で下宿料を払ってる時代はノンキに人形町の夜の景色を歌っていられるが、扨て職業となると文士生活は門外で見るほど気楽じゃ無い。人形町に憧がれたものが万年町を歌うようになるかも知れない。都会の咏嘆者が田舎の讃美者とならざるを得なくなる。
▲文科大学の学費を調べたものを見ると、上中下の三級に分った下級の費用すらが年額六百円を算当してある。月に五十円を要するわけだ。駈出しの文学士では五十円の月給を取れない人がある。学校卒業生の問題は文学士ばかりじゃないが、大学出身者中で文学士が最も気の毒な境涯にある。二十年前に、嫁に行くなら文学士か理学士に限ると高等女学校の生徒の前で演説して問題を惹起した人があるが、文人と新聞記者とは今日では嫁に呉れての無い嫌われ者の随一である。
▲文人の資本は紙と筆ばかりのように云う人があるが、文人は常に頭脳を肥やす滋養代に中々資本が要る。芝居を見るのもカフエへ行くのも、時としては最少し深入するのも矢張頭脳を豊かにする為めである。勿論、新らしい書籍は常に読まねばならない。偶像破壊の世の中でも古いものを全然棄てゝ了う事は出来ない。此費用だけ見積っても中々容易では無い。と云って少し頭脳の仕入れに油断すると、直ぐ時代に遅れて了う。文人は常に都会を離れる事は出来ない。一年都会を離れたら全く時代に遅れて地平線下に蹴落されて了う。文人の寿命は相撲と同じだと云うが、相撲よりも一層果敢ない。声名を維持するには常に頭脳を養うに努力しなけりゃならず、頭脳を養うには矢張資本の潤沢を要する。
▲文人は競馬の馬のようなものだ。常に美食していないと忽ち衰えて了う。が、馬の方は遊戯的に愛撫して千金を費して飼育するを惜まない金持があるが、人間の文人は時としては飼養者に噛付くので、千金の餌を与えて呉れるものが殆んど無い。
▲古来傑作は貧乏に生じたゆえ、文人は貧乏させて置くに限るという説がある。曲芸の動物は腹を減らせて置かないと芸をしないという筆法である。若し恁んな説が道理らしく主張されるなら我々は文人虐待防止会を起さねばならない。
▲近頃或る新聞が芸術税を提起した。其理由に曰く、同じ芸術家であり
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