共に往復九銭というのは決して高くは無かろうが、月に積ると莫大になる。我々の知人中には一家の電車代に毎月十円乃至十五円を支払う者は珍らしく無い。之だけの電車税を払うのは中産者に取っては相当な苦痛であるが、此苦痛を忍びつゝ交通の便利の恩恵を謝さねばならんのだ。
▲加之《しかのみ》ならず、電車がイクラ迅速でも、距離が遠ければ遠いほど時間を要する。逗子から毎日東京へ通った経験のある人の咄に、汽車の時間は往復四時間だが、汽車の待合せやらステーションから目的地までの時間を合して少くも五時間若くは其以上を要すると云った。ツマリ往復に半日を無駄にして了うわけである。逗子は少し遠方過ぎるから別としても、大塚巣鴨辺から通う人は少くも往復一時間半乃至二時間近く費すであろう。毎日之だけの時間を或る一定の仕事に割いたなら、五六年間には相当な大きな仕事が出来る。我々は時間を徒費しつつ電車の恩徳を難有がらなければならんのだ。
▲そんなら電車に乗ってる間の時間を読書に善用したら宜かろうというが、其意《そのつもり》で必ず書籍を懐ろにしていても、あのゴタクサした中では浮の空で読める新聞ぐらいなら格別、真面目な読書に精神を集中する事は迚も出来ない。且大抵は釣革に揺下《ぶらさが》るのだから、まごまごしていれば足を踏まれる、車が停ったり動いたりする度毎にヨロ/\する、其間には車掌が『御懐中物の御用心!』と号令を掛ける。足を踏まれまいと用心し、ヨロ/\しまいと用心し、懐中物を掠られまいと用心し、其上に目的の停留場を乗越すまいと用心しなけりゃならない。乗るから降りるまで用心のしつゞけで労れて了う。
▲自働車の上なら悠然と沈着て読書は本より禅の工風でも岡田式の精神修養でも何でも出来そうだが、電車は人間を怯懦にし、煩瑣にし、野卑にし、放肆《ほうし》にする。我々は電車に乗る度毎《たんび》に礼譲の治外法権を目撃して人間の美性が電車に傷られつゝあるを感じる。
▲門外《はた》から見ると文人の生活は極めて呑気に思われる。ノホホンだの後生楽《ごしょうらく》だの仙人だの若隠居だのという冷罵を我々は何百遍何千遍も浴びせられた。が、我々は不自由な郊外生活を喜んで、毎日往復の時間を無駄にしても、釣革に垂下《ぶらさが》って満員の中に押し潰されそうになっても猶お交通の便利を心から難有がるほど呑気にはなれない。我々は腰弁当を揺下げて
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