た。其中には銀細工やニッケル細工の小《こま》かい精巧なものが倒れたり破れたりして狼籍[#ママ]し、切子の美しい香水瓶が憐れに破われて煙臭い塵臭い中に床しいホワイトローズの香気を漾《ただよ》わしていた。銀の把柄《にぎり》の附いたステッキが薪のように一束となって其傍に投《ほう》り出されていた。
 一方の片隅には肩掛や膝掛が焼焦だらけ水だらけになって一と山積んであった。中には自働車や馬車に乗る貴夫人の肩や膝に纏わるべき美しい織物もあった。
 山高や中折や鳥打やフッドの何れも歪んだり潰れたり焦げたり水を被ったりしたのが一ト山積んであった。新流行のオリーブの中折の半分鍔を焼かれた上に泥塗れになってるのが転がっていた。滅茶々々に圧潰されたシルクハットが一段と悲惨《みじめ》さを添えていた。
 其傍の鉋屑の中に、行末は誰が家の令嬢貴夫人の襟を飾ったかも知れない駝鳥ボアが水にショボ湿れてピシャ/\になっていたのが老いすがれた美人の衰えを見るように哀れであった。其外にも如何なる貴女紳士の春の粧いを凝らすの料ともなるべき粧飾品や化粧品が焦げたり泥塗れになったり破れたりしてそこらこゝらに狼籍[#ママ]散乱して、恰も平家の栄華の末路を偲ばせるような心地がした。
『どうです、洋物部の損害は?』と丁度居合わした半分真黒けな顔をした洋物部の主任に訊くと、
『全滅です、』と淋しげに笑った。
 爰《ここ》を通って新築の裏口から賄い場へ抜けると、其先きは焼け跡であった。奥蔵の※[#「※」は「木へん+眉」、第3水準1−85−86、読みは「び」、155−1]間を焼灰の堆かい上を蹈んで、半分落ち掛ってる黒焦げの桁を潜ると、柱一本も残らぬ焼原であった。
 朦々と白い煙の立罩めた中に柱や棟木が重なって倒れ、真黒或は半焦になった材木の下に積重なった書籍が原形のまゝ黒焦げとなって、風に煽られる度に焼けた頁をヒラ/\と飛ばしていた。其処此処の熱灰の中からは折々余燼がチラ/\と焔を上げて、彼地此所に眼を配る消火夫の水に濡れると忽ち白い煙を渦立たして噴き出した。満目唯惨憺として猛火の暴虐を語っていた。
 焼けた材木を伝い、焼落ちた屋根の亜鉛板を踏んで、美術書の陳んでいた辺へ行くと、一列のフォリオ形の美術書が奇麗に頭を揃えて建てたなりに、丁度一本の棟木のように真黒けにソックリ其儘原形を残して焼けていた。
 是等の美術書の大部分は巴黎の「リブレール・ド・ボザール」や「デューシエ」や独逸の「ヘスリンク」から此頃新着したばかりのもので、各種の図案粧飾、又は名画彫塑の複製帖等、何れも精巧鮮美、目も覚めるようなものばかりであった。其価を云えば廉なるも二十円三十円、高価なるは百五十円二百円というものであった。是れだけの図案美術書類は、今日の日本には普通の図書館は勿論美術専攻の如何なる研究所にさえ揃っていないと断言して宜かろう。
 ツイ此頃の新着だから、尚だ尽く目を通していなかったが、デュポン・トーベルヴ※[#「※」は「ヰ」の小書き、156−1]ルの名物織物譜や、巴黎で新らしく出版された日本の織物帖、ビザンチンの美術大観、某々名家の蒐集した画※[#「※」は「月」+「卷」の下に代えて「貝」」、第3水準1−92−27、156−3]《がよう》等、其製版摺刷の精妙巧緻は今猶お眼底に残って忘れられない。
 其中には又クラインマンのアッシリア壁画の帖があった。スタインの和※[#「※」は「門がまえ+眞」、第3水準1−93−54、156−4]《コータン》発堀[#ママ]の報告があった。前者はアッシリアの浮雕《レリーフ》を撮影した全紙の玻璃版で、極めて緻密なる細部の雕刻までを鮮明に現わして殆んど実物を髣髴せしめた。後者は印度文明の揺籃地に関する最新の発見報告であって、其発堀せる遺物の精巧なる写真数十葉は何れも皆東洋芸術の根本資料として最も貴重なるものである。此の二つは必ずしも二度と得られないというものでは無いが、彼程の立派な研究資料をムザ/\と焼いて了ったは如何にも残念であった。
 其中には又ヴヮンダイクの著名なエチングの複製画があった。[#以下の括弧内割注](価は四百円であった。)英国印刷界を驚倒したメヂチ版の複製画があった。ニコルソンの飄逸な筆に成った現代文豪の肖像画等があった。新らしいものではあるが、是等は大抵多数に頒つを目的としないで、三百乃至五百、中には僅に五十部乃至百部を限った出版もあるゆえ、其中には二度と再び得られないものもあった。
 之が皆焼けて了った。数十部の画帙画套が恰も一本の棟木のように一つに固まって真黒に焼けて了った。世界の大美術書の総数に比べたなら九牛の一毛どころか百牛の一毛にも当るまいが、シカモ世界の文献に乏しい日本では此の百牛の一毛なり万牛の一毛なりの美術書でさえが猶お貴重せざるを得なかっ
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