のも無い。善いものゝ中から悪いものを棄て、悪いものゝ中から善いものを拾ふのが人間の見識であつて、此見識を養つて悪いものゝ悪化を受けないやうな堅固な頭脳を作るのが父兄なり先輩なり教育家なり道徳家なりの若いものや後輩に対する任務である。然るに偶さか百冊に一冊か千冊に一冊かある悪書に恐れて、教課書以外の書物を読んではならぬなどゝいふは所謂羹に懲りて膾を吹くの類である。
 世の父兄や教育家輩が所謂悪書と云つて恐れるのはドンナ書物を指すのか、之に就て多少云ひたい事もあるが、之は後廻しとして、左に右く日本の公衆はまだ/\読書の量が乏しい。勿論読書といふものは直接世渡りの足しにもならず、金儲けの手段にもならぬから、知識慾も精神上の昂上心も無い先生たちは一向不自由をしない。加之ならず自分達が利慾的盲動や何よりも好きな不善の快楽を攻撃されるのが読書子側だから何となしに読書家を煙たがる。児童を教育するにつけても、学校を卒業させて月給に有附かせる外には望みは無いから、学校の教課書さへ読んでればいゝやうに思つてゐる。教課書以外の書物を読むのは試験の邪魔になると思つて厳ましく叱言を云ふ。
 一体此試験といふ奴が
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