が大嫌いで、先生はわざわざ自身で考案して橋口に作らせたことがある。ところがその出来上ったインキスタンドは実に嫌な格好の物で、夏目さん自身も嫌で仕様がないとこぼしておられたことを記憶している。
 左様、原稿紙も支那風のもので……。特に夏目漱石さんの嫌いなものはブリウブラクのインキだった。万年筆は絶えず愛用せられたが、インキは何時もセピアのドローイングインキだったから、万年筆がよくいたんだ。私が一度、いい万年筆を選んで、自分で使い慣らしてからインキを一瓶つけて持たせてやったことがあるが、そのインキがブリウブラクだったから気に入らなかったそうである。夏目漱石さんはあらゆる方面の感覚にデリケートだったのは事実だろうが、別《わ》けても色に対する感覚は特にそうだったと思う。「ブリウブラックを使えば帳面を附けているような気がする」と好く言われた。
 その割に原稿は極めてきたなかった。句読の切り方などは目茶だった。尤も晩年のことは知らない。そのくせ書にかけては恐らく我が文壇の人では第一の達人だったろう。
 修善寺時代以後の夏目さんは余り往訪外出はされなかったようである。その当時、私の家に来られたことが
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