とは十年以上の交際を続けたが、余り頻繁に往復しなかったせいでもあろうけれども、ただの一度も嫌な思いをさせられたことがない。なるほど、時としてはつむじ[#「つむじ」に傍点]曲りだと世間に言われるような事もあったか知れない。千駄木にいられた頃だったか、西園寺さんの文士会に出席を断って、面白い発句を作られたことがある……その句は忘れたが、何でもほととぎすの声は聞けども用を足している身は出られないというような意味のことだった。
*
夏目さんは門下生には大変好かった。また家庭も至極円満のように思う。近頃新聞など色々のことを書くそうだが、そんなことは何かの感違いだと私は思う。尤《もっと》も病身のために時には気むずかしくなられたのは事実だろう。子供のことには好く心を懸けられる性質で、日曜日には子供がめいめいの友達を伴《つ》れ込んで来るので、まるで日曜幼稚園のようだと笑っていられた。
作から見れば夏目さんはさぞかし西洋趣味の人だったろうと想像する人もあるようだが、私の観たところでは全く支那趣味の人だった。夏目さんの座右の物は殆んど凡《すべ》て支那趣味であった。
硝子のインキスタンド
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