喰《く》ふといふ面倒《めんだう》を生《しやう》じ※[#二の字点、1−2−22]は扨《さて》も迷惑《めいわく》千万《せんばん》の事ならずや。神《かみ》が創造《さう/″\》の御心《みこゝろ》は人間《にんげん》を楽《たのし》ましめんとするにありて苦《くるし》ましめんとするにあらず。無為《むゐ》は天則《てんそく》なり、無精《ぶしやう》は神慮《しんりよ》に協《かな》へり。正直《しやうぢき》の頭《かうべ》に神《かみ》宿《やど》る――嫌《いや》な思をして稼《かせ》ぐよりは真《ま》ツ正直《しやうぢき》に遊《あそ》んで暮《くら》すが人間《にんげん》の自然《しぜん》にして祈《いの》らずとても神《かみ》や守《まも》らん。文学者《ぶんがくしや》を以て大《だい》のンき[#「のンき」に傍点]なり大《だい》気楽《きらく》なり大《だい》阿呆《あはう》なりといふ事の当否《たうひ》は兎《と》も角《かく》も眼《め》ばかりパチクリ[#「パチクリ」に傍点]さして心《こゝろ》は藻脱《もぬけ》の売《から》となれる木乃伊《ミイラ》文学者《ぶんがくしや》は豈《あ》に是れ人間《にんげん》の精粋《きつすゐ》にあらずや。
且つ又|聖経《バイブル》の教ふる処《ところ》に依《よ》れば天国《てんこく》に行《ゆ》かんとすれば是非《ぜひ》とも小児《せうに》の心《こゝろ》を有《も》たざるべからず。小児《せうに》の如くタワイ[#「タワイ」に傍点]なく、意気地《いくぢ》なく、湾白《わんぱく》で、ダヾ[#「ダヾ」に傍点]をこねて、遊《あそ》び好《ずき》で、無法《むはふ》で、歿分暁《わからずや》で、或時《あるとき》はお山《やま》の大将《たいしやう》となりて空威張《からゐばり》をし、或時《あるとき》はデレリ[#「デレリ」に傍点]茫然《ばうぜん》としてお芋《いも》の煮《に》えたも御存《ごぞん》じなきお目出《めで》たき者は当世《たうせう》[#「たうせう」はママ]の文学者《ぶんがくしや》を置《お》いて誰《た》ぞや。
文学者なる哉[#「文学者なる哉」に傍点]、文学者なる哉[#「文学者なる哉」に傍点]。天変地異《てんぺんちい》を笑《わら》つて済《す》ますものは文学者《ぶんがくしや》なり。社会《しやくわい》人事《じんじ》を茶《ちや》にして仕舞《しま》ふ者は文学者《ぶんがくしや》なり。否《い》な、神の特別《とくべつ》なる贔屓《ひいき》を受《う》けて自然《し
前へ 次へ
全14ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内田 魯庵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング