の言をよしとするも、女子は子を産み子を育つるにおいて、おそらくは多くの余力なからんと。今日においてあるいはしからん。しかれども今日の女子が子を産み子を育つるにおいて余力なきは、あだかも今日の農夫が米を作るにおいて余力なきに同じ。もし将来の進歩せる社会において、農業が精巧なる器械の応用と多数人の組合とによって、それに従事する労働者に多くの余暇余力を存せしめうべきを信ずるならば、生殖事業もまた周到なる設備と多数人の助力とによって、それに従事する婦人に多くの余暇余力を存せしめうべきを信ぜざるべからず。試みに想像せよ。ここに一婦人あり、その生殖事業に従うのゆえをもって、しばらく他のいっさいの任務を免除せられ、またそのすでにやや成長せる子供の世話を免除せられ、常にその友人たる多くの男女の助力を受け、ことにその分娩の際には、十分なる設備と十分なる看護とを与えられ、分娩後にも哺乳《ほにゅう》の任務の外は多くの助力を受け、しかして必要なる哺乳時期を過ぐれば、幼児の世話もたいていは多くの人々の手に分担せらるることとならば、この婦人よし五、六人の子供ありたりとて、決して他の高尚なる事業に従うの余暇余力なき
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