という、被告らの輿《よ》論だった。ところが意外にも、判決申し渡しは一年、一年半、二年の三種だった。それを聞いた時、わたしはほんとに「オヤ!」と思った。多くの被告は「無政府主義万歳!」を唱えて退廷した。婦人連のうち、二人は免訴となり、二人は執行猶予となった。
わたしは監獄に帰ってから考えた。二年ということになっちゃ、これはチョット冗談でない。俺はおまけに新聞紙法違犯で別に二カ月の刑をしょわされてる。これから二年二カ月! だいぶんシッカリしないと、やりきれないぞ。そう考えると、妙なもので、気分がスット引きしまってきた。勇気が出た。というよりはむしろ、落ちつきが出てきた。翌日からはモウ存外平気で、皆が申し合わせて控訴などいっさいやらぬことにし、そしてすぐに赤になって、「すずめおどりを見るような編みがさ姿」で千葉監獄に護送された。
ここに一つエピソードがある。我々が前記の錦町署の留置場を出たあとで、そこの板壁にある落書きの中に、何か知らんが「不敬」な文字が発見されたそうだ。そしてそれが佐藤君に対する嫌疑《けんぎ》となった。彼はそれがため、別に不敬罪として起訴された。我々はそのことを市ケ谷の
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