罵詈《ばり》、嘲笑《ちょうしょう》、批難、攻撃が、ずいぶんきたならしく両派の間に交換されていた。しかし山口君は、その前年皆が大合同で日刊平民新聞をやっていたころから、いくばくも立たないうちに入獄したので、この憎悪、反感の的からはずれていた。そこで彼の出獄を歓迎する集会には、両派の代表者らしい者がほとんどみな出席していた。時は明治四一年六月二二日、わたしは紺がすりのひとえを着ていたことを覚えている。
久しぶり両派の人々がこうした因縁で一堂に会したのだから、自然そこに一脈の和気も生じたわけだが、しかし一面にはやはり、どうしても、対抗の気分、にらみあいの気味があった。けれども会はだいたい面白く無事に終わって、散会が宣告された。皆がそろそろ立ちかけた。するとたちまち一群の青年の間に、赤い、大きな、旗がひるがえされた。彼らはその二つの旗を打ち振りつつ、例の○○歌か何か歌いながら、階段を降りて、玄関の方に出て行った。会衆の一部はそれに続き、一部はあとに残っていた。玄関口の方がだいぶん騒がしいので、わたしも急いで降りてみると、赤旗連中はもう表の通りに出て、そこで何か警察官ともみあいをやっていた。わ
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