に記す通り)仏教に対してはあまり同情を持たなかったが、母の故を以て観音様は少し好きだった。
 今一つ母についての思い出。これはよほどまだ私の小さい時のこと。私が炬燵の中で――母と私とが一緒に寝る広い寝床の中で――目をさますと、母は既に起き出でて竈《くど》の前で飯を炊いていた。私が何か言うと、「起きたかな、お目ざましをあぎょう」と言って母は竈《くど》の熱灰《あつばい》の中に埋めておいた朝鮮芋を取りだして、その皮をむいて持って来てくれた。黄色い美しい芋の肉から白い湯気がポカポカと立っていた。どうして、こんな光景が、特に私の記憶に残っているのか分らないが、恐らくその蒸し焼の芋の味が特別にうまかったのだろう。
 今一つ、これは私が母に対する唯一の反感。ある時、私が何かのことで、さんざん母にグズっていた。母も大ぶん怒って私を叱っていた。すると、母はちょうどお膳ごしらえをしていたのだが、とつぜん醤油つぎを引っくりかえした。赤黒い醤油がたくさん畳の上にこぼれた。母は慌ててそれをツケギで掬《すく》い取るやら、そのあとを雑巾《ぞうきん》で拭くやら(恐らく父に内証にするため、大急ぎで)していたが、「こんな
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