などの古色に至っては、けだし読者の一粲《いっさん》を博するに足りるだろう。
母は滅多に外出しなかったので、たまに前の山に千振《せんぶり》摘《つ》みなどに行く時、私らはそれを大変な珍しいことのようにして、そのあとについて行った。母は千振を摘んでは蔭干しにしておいて、毎朝それを茶の中に振りだして飲むのであった。千べん振ってもまだ苦いと言うのが恐らくその名の出処であろう。私もいつかその真似をして、あの苦い味わいを、何か少し尊い物のように思っていた。後に私が人生のある事件を批評する時、「苦底の甘味」という言葉を用いたことがあるが、それは千振の味に思い寄せたのであった。また千振という草のツイツイと立っている姿、あのささやかな白い花の形などが、何とも言われぬしおら[#「しおら」に傍点]しさを私に感じさせた。そして、それも恐らく、母から開かせられた目の働きであったろうと思う。
ある日、母が珍しく裏の山にナバ(茸《きのこ》)を取りに出た。兄と私とが嬉しがってその前後に飛びまわった。すると猫も跡からやって来て、手柄顔に高い松の木に駈けあがったりした。「猫までが子供と一しょに湧きあがる!」と、母は面白
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