子供心にも、深く両方に同情した。
 ある年の春、つつじの花の盛りの頃、裏の山の裾にござ[#「ござ」に傍点]を敷いて、そこに夕めしのお膳を持ちだし、母の自慢のえんどうまま[#「えんどうまま」に傍点]で、父は例の一合を楽しみつつ、つつじ見の小宴を催したことがある。それらは父がアジをやるのであるか、それとも母の思いつきであったのか知らないが、とにかく私には嬉しい一家の親しみであった。また、父と母とは、ジャモクエの年寄り夫婦にも似ず――あるいは無邪気な年寄り夫婦らしくと言った方が却っていいかも知れぬが――ある時など、木箱に竹の棒を突きさして、それに紙を張り、糸をつけて、三味線のおもちゃを拵えて見たりしていた。しかしそのおもちゃでは満足が出来なかったと見えて、後にはお隣りから本物を借りて来て、二人でツンツン言わせていたこともある。その歌、「高い山から谷底見れば」「摺り鉢を伏せて眺めりゃ三国一の」などはあえて奇とするに足りないが、「芝になりたや箱根の芝に、諸国諸大名の敷き芝に、ノンノコセイセイ」「コチャエ、コチャエは今はやる、若《わか》い衆《しゅ》が、提灯《ちょうちん》雪駄《せった》でうとてゆく」
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