た。もしかこれが、狸か何かが来て母を喰い殺して、その代りに化けているのではないかと、私は思った。しかし母がやがて笑いを含んで話しはじめると、そんな怪しみなど勿論すぐ消えてしまった。私としては、若い美しい母などというものは、ついぞ考えたこともなかった。
 母は平仮名《ひらがな》以外、ほとんど文字というものを書いたことがなかった。しかし耳学問はかなりに出来ていた。里方の志津野家が少し学問系統の家であったのと、三十幾つまで「行かず後家」の境遇にあったのとのためだろう、浄瑠璃とか、草双紙《くさぞうし》とか、軍談とかいうような物には、大ぶん聞きかじりで通じていた。私らを教訓する時、よく浄瑠璃の文句が引き言にされていた。そういう意味から言えば、私らは、父の方よりも、母の方からヨリ多く教育されていた。
 母はまた、憐みぶかい性質であった。折々門に来て立つ乞食のたぐいなどに対して、いつも温かい言葉をかけていた。猫を可愛がることも、私は母から教えられたような気がした。母は不器用なかたちで、風流と言ったような、気のきいた点は少しもなかったが、それでいて自然の美に対する素朴なアコガレを持っていた。例えば、活
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