驕B
羽衣の袖ふりはえて、
舞うや虚空の三千里。
舞いすまし、吹きすます。
ピーヒョロリ、ピーヒョロリ。」
雨には軒の玉水の、
鼓打つかと思わるる。
緒を引きしめて気を籠めて、
打つや手練の乱拍子。
打ちはやし、打ちはやす、
トウトウタラリ、ポポンポン。」
ああ面白ろの自然かな。
ああ面白ろの天地かな。」

   一八 出獄雑記

 六月二十日午前五時、秋水のいわゆる「鬼が島の城門のような」巣鴨監獄の大鉄門は、儼然として、その鉄扉を開き、身長わずかに五尺一寸の予を物々しげにこの社会に吐き出した。
 久しぶりの洋服の着ごころ甚だ変にて、左の手に重たき本包みをさげ、からだを右にかたむけながらキョロキョロとして立ちたる予は、この早朝の涼気のなかに、浮びて動かんとするがごとき満目の緑に対して、まず無限の愉快を感じた。
 ようやく二三歩を運ぶとき、友人川村氏のひとり彼方より来るに遭うた。相見て一笑し、氏に導かれて茶店に入った。あああ、これで久しぶり天下晴れて話ができる。
 間もなく杉村縦横君が自転車を走らせて来てくれた。つづいては筒袖の木下君、大光頭の斎藤君などを初めとして、平民社の諸君、社会主義協会の諸君などが二十人あまり押寄せた。最後に予の女児真柄が、一年五個月の覚束なき足取にて、隣家のおばさんなる福田英子氏と、親戚のおじさんなる小林助市氏とに、両手をひかれながらやって来た。予は初めて彼が地上を歩むを見た。そして彼はすでに全く予を見忘れていた。
 かく親しき顔がそろうて見れば、その中に秋水の一人を欠くことが、予にとっては非常の心さびしさであった。彼はその病床より人に托して、一書を予に寄せた。「早く帰って僕のいくじなさを笑ってくれ」とある。笑うべき乎、泣くべき乎。一人は閑殺せられ、一人は忙殺せられ、而して二個月後の結果がすなわちこれであるのだ。
 予はそれより諸友人に擁せられて野と畑との緑を分け、朝風に吹かれながら池袋の停車場に来た。プラットフォームに立ちて監獄を顧み、指点して諸友人と語るとき、何とはなしに深き勝利の感の胸中に湧くを覚えた。
 新宿の停車場に降りれば、幸徳夫人が走り寄って予を迎えてくれた。停車場より予の家まで僅か四五丁であるが、その道が妙に珍しく感じられる。加藤眠柳君から獄中に寄せられた俳句「君知るや既に若葉が青葉した」とあったのがすなわちそれだ。わが家に入ればまたわが家が妙に珍しく感じられる。門より庭に入りて立てば、木々の緑が滴るばかりに濃く見えるのだもの。
 予の病妻は予の好める豆飯を炊いて待っていた。予は彼の如何に痩せたるかを見たる後、靴を脱せずして直ちに秋水を訪うた。秋水は、病床に半ば身を起して予の手を握った。彼は予の妻とともに甚だしく痩せていた。
 歌のようなものが一首できていた。
 いつしかに桐の花咲き花散りて葉かげ涼しくわれ獄を出ず
 監獄の中で風情のある木は桐ばかりであったから。

   一九 出獄当座の日記

六月二十日 出獄。終日家居、客とともに語りかつ食う。
二十一日 出社。社中諸君が多忙を極めている間に、予一人だけ茫然として少しも仕事が手につかず。
二十二日 同上。
二十三日 編輯終る。予は少々腹工合を悪くした。
二十四日 腹工合甚だ変也
二十五日 とうとう下痢をやりだした、よほど注意はしていたのだが。午後下剤を飲み、夜に入りて十数回の下痢があった。
二十六日 せっかくの出獄歓迎園遊会に出席はしたが、何分疲労が、甚だしいので、写真を取ったあとですぐに帰宅した。
二十七日 秋水の家に風がよく通すので、午後半日をそこで暮した。二個の病客が床を敷き並べて相顧みて憮然たるところ百穂君か芋銭君かに写してもらいたいような心地がした。
二十八日 ようやく下痢がとまった。粥を食い、刺身を食い、湯に入る、甚だ愉快。

  (附) 園 遊 会 の 記

 六月二十六日午前九時より堺生[#底本は「塀生」と誤植]の出獄歓迎を兼ねて園遊会が開かれた。……場所は、角筈十二社の池畔桜林亭である。……幸いに曇天で、……来会者は男女合せて百五十余名の多きに達した。……安部磯雄氏発起人総代として開会の趣旨を述べ、その中に「本日の会合はもとより堺氏出獄の歓迎を兼ねてでありますが、実をいえば、牢にはいるということは社会主義者にとりては普通のことでありますから、もしわが党の士のなかに出獄者あるごとに歓迎会を開くこととすれば、今後何百回ここで歓迎会を開かなければならぬかも知れぬ。で、私は今日の会も堺氏の出獄を期して、われら同志友人がここに一日の園遊会を開いたという風に思い」たいと語った。……
 (発起人の一人)
 (安部氏のこの意見は、当時としては、誠によく見透しのついた、適切な警告であった。――堺生)
[#地より2字上がり](一九一一年
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