魔ノ別菜がつく。そのほかには、湯に先に入れる、着物の新しいのを貸す、月一度と極った手紙を二度出させるなどの特待があるばかり。
一四 理想郷
さて、かく獄中生活の荒ましを語った上で、予をして更に少しく監獄なるものの全体を観察せしめよ。
監獄はまずその建築が堅牢である。宏壮である。清潔である。棟割長屋に住むものより見れば、実に大厦高楼の住居といわねばならぬ。衣服夜具のごときも、ほぼ整頓している。冬期においてはもちろん非常の寒さにも苦しむには相違ないが、さりとて常に襤褸をまとい、或はそれすらもまとい得ざるものより見れば、実にありがたき避寒所といわねばならぬ。食物も悪いには相違ないが、塵だめをあさる人間あることを思えば、必ずしも不平はいわれぬ。何にせよ、監獄は衣食住の平等と安全とにおいて、遙か社会より優っている。
監獄の住民はこの平等にして安全なる衣食住の間に、電灯鉄道蒸汽等種々なる文明の利器を利用して、各その才能性情に応ずる分業をなし、ほぼ共同自治の生活をなしている。況んや心身の疾病のためには、病院もあれば教会もある。ほとんど何不足なき別社会といわねばならぬ。
かく見来るときには、監獄は実に一種の理想郷である。予が休養のため理想郷に入るといったのも、またけっして嘘ではなかった。しかしながらまた、この理想郷を他の一面より見るときは全く別種の観が眼前に現われて来る。
一五 看守
監獄の住民は囚人ばかりではない。ほかに看守というものがある。看守は囚人を戒護する官吏であるが、その境遇の気の毒さは決して囚人に劣るものではない。ある老看守はかつて予に語っていわく、「午前三時に起きて、三時半に家を出て、四時に監獄に着いて、四時半から勤務しはじめて、一時間半ごとに三十分ずつ休憩して、午後六時半の閉監まで勤務して、それからあと仕舞をして家に帰ると七時半ぐらいになる。靴も脱がずに縁側に腰かけていると、ホンの暫くの間だけわが家の庭の景色を薄光に見ることができる。湯などにはめったにゆく暇がない、二週間に一度の休みはたいがい寝て暮します」と。しかして彼らの俸給は僅々十二円か十五円にすぎぬのである。
看守と囚人とを別々に見れば、共に気の毒なる境遇の人々であるが、さてこの二人種の関係を考えてみれば、滑稽といおうか、馬鹿馬鹿しいといおうか、更にこれを悲惨といおうか、予はこれを評するに言葉を知らぬ。
一六 出獄前の一日
出獄の前日には満期房というのに移される。ここには明日自由の身となるべき窃盗氏、詐欺氏、カッパライ氏、恐喝氏、持逃げ氏などが集まって来る。いよいよ今日きりの一昼一夜を暮しかね明しかねて、様々の妄想を逞うしながら馬鹿話に耽っている。
まず一人ずつ呼出されて教誨師の説諭をうける。教誨師も一向気の乗らぬ調子で役目柄だけのお茶をにごす。囚人はただハイハイとお辞儀をして、房に帰って舌を出す。そして何を話すかと聞いていれば、食いたい、飲みたい、遊びに行きたい、たいがいはまずそれである。最も良心の鋭敏な奴が「モウとても真人間にはなられない」と嘆息する。「これがドウしても止められないとは何たる因果な男だろう」とひとりで笑っているのもある。最も思慮分別ありげな奴の言葉を聞けば、「いっそヤルなら大きなことをやるか、それでなくちゃスッパリ止めるのだ。」多くの奴はテンデ止めるの止めないという問題は起しておらぬ。
予が最も趣味多く感じた一話がある。あるカッパライの大将いわく、「小僧の二人も内にかくまっておけば、その日その日に不自由をすることはないぜ、鰹節がなくなれば鰹節をさらって来るし、炭がなくなれば、炭をさらって来るし、ホントに便利なもんだ。それに彼奴ら義理が堅くてとッつかまってもめったにボロを出しゃしないや。いつやら兄さんも一しょに来い来いというからついて行って見ると、ある宮の境内にきて、兄さんお酒が好きだから今にもって来てやる、ここに待っていろという。暫くするとビールを二本さげて来た。コップがないというと、またはしりだして今度はガラス屋からコップを一つさらって来た。ホントにおかしいように便利なもんだぜ。」
一七 獄中の音楽
囚人半月天を見ず。
囚人半月地を踏まず。
されど自然の音楽は、
自由にここに入り来る。」
朝は朝日に雀鳴く。
わが妻来れ、チウチウチウ。
子らはいずこぞ、チュンチュンチュン。
ここに餌《えは》[#《えは》はママ]あり、チュクチュクチュク。」
夕は夕日に牛の鳴く。
永き日暮れぬ、モオオオオ。
務め終りぬ、モオオモオ
いざや休まん、モオモオモオ。」
夜は夜もすがら蛙鳴く。
人は眠れり、ロクロクロク。
世はわが世なり、レキレキレキ。
歌えや歌え、カラコロコロ。」
晴には空に鳶の声、
笛吹くかとぞ思わる
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