、折ふし怪《け》しからぬお噂《うわさ》をする事があって、冬の夜、炉《ろ》の周囲《まわり》をとりまいては、不断《ふだん》こわがってる殿様が聞咎《ききとが》めでもなさるかのように、つむりを集めて潜々声《ひそひそごえ》に、御身分違《おみぶんちがい》の奥様をお迎えなさったという話を、殿様のお家柄にあるまじき瑕瑾《きず》のようにいいました。この噂を聞いて「それは嘘だ、殿様に限ってそんな白痴《たわけ》をなさろうはずがない」といい罵《ののし》るものもありましたが、また元の奥様を知っていた人から、すぐに聞《きい》たッて、一々ほんとうだといい張る者さえあったんです。その話というはこうなんです。
人の知らない遠い片田舎に、今の奥さまが、まだ新嫁《にいよめ》でいらしッたころ、一人の緑子《みどりご》を形見《かたみ》に残して、契合《ちぎりあっ》た夫が世をお去りなすったので、迹《あと》に一人|淋《さび》しく侘住《わびずま》いをして、いらっしゃった事があったそうです。さすがの美人が憂《うれい》に沈《しずん》でる有様、白そうびが露に悩むとでもいいそうな風情《ふぜい》を殿がフト御覧になってからは、優《ゆう》に妙《たえ》なお容姿《ようす》に深く思いを寄《よせ》られて、子爵の御名望《ごめいぼう》にも代《かえ》られぬ御執心と見えて、行《ゆき》つ戻《もど》りつして躊躇《ためら》っていらっしゃるうちに遂々《とうとう》奥方にと御所望《ごしょもう》なさったんだそうです。ところがいよいよ子爵夫人の格式をお授《さず》けになるという間際《まぎわ》、まだ乳房《ちぶさ》にすがってる赤子《あかご》を「きょうよりは手放して以後親子の縁はなきものにせい」という厳敷《きびしき》お掛合《かけあい》があって涙ながらにお請をなさってからは今の通り、やん事なき方々と居並《いなら》ぶ御身分とおなりなさったのだそうです。ところがあの通りこの上もない出世をして、重畳《ちょうじょう》の幸福と人の羨《うらや》むにも似ず、何故か始終浮立ぬようにおくらし成《なさ》るのに不審を打《うつ》ものさえ多く、それのみか、御寵愛《ごちょうあい》を重ねられる殿にさえろくろく笑顔をお作りなさるのを見上た人もないとか、欝陶《うっとう》しそうにおもてなしなさるは、お側《そば》のチンも子爵様も変った事はないとお附《つき》の女中が申《もうし》たとか、マアとりどりに口賢《くち
前へ
次へ
全9ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
若松 賤子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング