ががさつかせるという時分、大したお供揃《ともぞろい》で猟犬や馬を率《ひか》せてお下《くだ》りになったんです。いらっしゃれば大概二週間位は遊興をお尽しなさって、その間は、常に寂《ひっ》そりしてる市中が大そう賑《にぎやか》になるんです。お帰りのあとはいつも火の消《きえ》たようですが、この時の事は、村のものの一年中の話の種になって、あの時はドウであった、コウであったのと雑談《ぞうだん》が、始終尽ない位でした。
 僕はまだ少《ちい》さかったけれど、あの時分の事はよく覚えていますよ。サアお出《いで》だというお先布令《さきぶれ》があると、昔堅気《むかしかたぎ》の百姓たちが一同に炬火《たいまつ》をふり輝《て》らして、我先《われさき》と二里も三里も出揃《でぞろ》って、お待受《まちうけ》をするのです。やがて二頭曳《にとうびき》の馬車の轟《とどろき》が聞えると思うと、その内に手綱《たづな》を扣《ひか》えさせて、緩々《ゆるゆる》お乗込になっている殿様と奥様、物慣《ものなれ》ない僕たちの眼にはよほど豪気《ごうぎ》に見えたんです。その殿様というのはエラソウで、なかなか傲然《ごうぜん》と構えたお方で、お目通りが出来るどころではなく、御門をお通りになる度《たび》ごとに徳蔵おじが「こわいから隠れていろ」といい/\しましたから、僕は急いで、木の蔭《かげ》やなんかへかくれるんです。ですがその奥さまというのが、僕のためにはナンともいえない好《い》い方で、その方の事を考えても、話にしても、何だか妙に嬉《うれ》しいような悲しいような心持がして来るんです。美人といえばそれまでですが、僕はあんな高尚な、天人《てんにん》のような美人は見た事がないんです。先《まず》下々《しもじも》の者が御挨拶《ごあいさつ》を申上ると、一々しとやかにお請《うけ》をなさる、その柔和でどこか悲しそうな眼付《めつき》は夏の夜の星とでもいいそうで、心持|俯向《うつむ》いていらっしゃるお顔の品《ひん》の好さ! しかし奥様がどことなく萎《しお》れていらしって恍惚《うっとり》なすった御様子は、トント嬉《うれし》かった昔を忍ぶとでもいいそうで、折ふしお膝《ひざ》の上へ乗せてお連《つれ》になる若殿さま、これがまた見事に可愛《かあい》い坊様なのを、ろくろくお愛しもなさらない塩梅《あんばい》、なぜだろうと子供心にも思いました。
 近処《きんじょ》のものは
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