間《ねま》へ行着《ゆきつき》ましたが、どこからともなく、ホンノリと来る香《こう》は薫《かお》り床《ゆか》しく、わざと細めてある行燈《あんどう》の火影《ほかげ》幽《かす》かに、室《へや》は薄暗がりでしたが、炉《ろ》に焚《た》く火が、僅《わず》か燃残《もえのこ》って、思い掛けぬ時分にパット燃上っては廻りを急に明るくすると思えば、また俄《にわ》かに消失せて、元の薄暗がりになりました。僕は気味悪さに、ただそこここと見廻している斗《ばか》りでしたが、「モット側へおより」と徳蔵おじにいわれて、オジオジしながら二タ足三足、奥さまの御寝《おやすみ》なってるほうへ寄《より》ますと、横になっていらっしゃる奥様のお顔は、トント大理石の彫刻のように青白く、静な事は寝ていらっしゃるかのようでした。僕はその枕元にツクネンとあっけにとられて眺《なが》めていると、やがて恍惚《うっとり》とした眼を開《ひらい》てフト僕の方を御覧になって、初《はじめ》て気が着《つい》て嬉しいという風に、僕をソット引寄て、手枕をさせて横に寐かし、何かいおうとして言い兼《かね》るように、出そうと思う言葉は一々長い歎息《ためいき》になって、心に畳《たた》まってる思いの数々が胸に波を打たせて、僕をジット抱〆《だきしめ》ようとして、モウそれも叶《かな》わぬほどに弱ったお手は、ブルブル震えていましたが、やがて少し落着て……、落着てもまだ苦しそうに口を開けて、神に感謝の一言「神よ、オオ神よ、日々年々のこの婢女《しもめ》の苦痛を哀れと見そなわし、小児《こども》を側に、臨終を遂《とげ》させ玉うを謝し奉《たてま》つる。いと浅からぬ御恵《みめぐみ》もて、婢女の罪と苦痛を除き、この期《ご》におよび、慈悲の御使《おんつかい》として、童《わらべ》を遣《つか》わし玉いし事と深く信じて疑わず、いといとかしこみ謝し奉る」と。祈り終って声は一層|幽《かすか》に遠くなり、「坊や坊には色々いい残したいことがあるが、時|迫《せま》って……何もいえない……ぼうはどうぞ、無事に成人して、こののちどこへ行て、どのような生涯を送っても、立派に真の道を守《まもっ》ておくれ。わたしの霊《たましい》はここを離れて、天の喜びに赴《おもむ》いても、坊の行末によっては満足が出来ないかも知れません、よっくここを弁《わきま》えるのだよ……」。仰《おっしゃ》って、いまは、透き通るような
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