事ばかり考へて急いだ。前の丘を越え戻つて、灯台の下の磯を目がけて行くと木がくれに二三の屋根が表はれ、やがて十軒あまりの部落に出て来た。先づ目についたはさくら屋といふ看板で、黒塗りのブリキ屋根の小さな軒に懸つてゐる。海のそばといふ私の言葉には直ぐ浪うち際の岩の上にでもそそり立つてゐる所を想像してゐたのであつたが、これは狭い砂浜の隅に建てられたマツチ箱式の二階屋である。再び驚いたが、もう落胆《がつかり》する勇気も無い。私はつか/\とその店頭へ歩み寄つた。
 むく/\肥つた四十|恰好《かつかう》の内儀《おかみ》が何だか言つてゐるのを聞き流して私は取りあへずそこの店さきにある井戸傍に立つた。頭から背から足さきまで洗ひ流して、直ぐ二階に上らうとした。また内儀が何か言ふ。あまりに頬の肉が豊富で口はその奥に引込んで而かも歯が欠けてゐるため、何をいふのか甚だ解し難い。下座敷がよくはないかといふ様なことではあつたが、私はずん/\階子段を上つてしまつた。そして海に向いた方の部屋の障子を引きあけてみて驚いた。其処はふさ[#「ふさ」に傍点]がつてゐた。しかも三十前の男女が恐しい風をしてまだ蚊帳の中に寝てゐる。
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