誰かの話を不図思ひ出した。その演習も終つていま横須賀に帰つて行く所であらう。斯うして揃つた姿を見てゐると、何とはなしに血の躍る心地がする。松輪への路を訊くと、芋畑の中にゐる爺さんが伸び上つて、その電信柱について行きさへすれば間違ひはないと教へてくれる。なるほどこの丘の脊を通して電信柱が列なつてゐる。そしてその先が小さくなつてゐる。

 やがて柱の行列の尽きる所に来た。なるほど、この電線はこの岬端にある剣崎灯台(土地では松輪の灯台と呼んでゐる)に懸つてゐるものであつたのだ。灯台は今はたゞ白々と厳《いかめ》しい沈黙を守つて日に輝いてゐるのみである。そして附近に人家らしいものも見えぬ。あちこちと見廻してゐると、すぐ眼下の崖下にそれらしい一端が見えて居る。私は勇んで坂を降りて行つた。咽喉も渇き、腹も空いてゐた。
 降りて行つて驚いた事には其処は戸数五十近くの旧い宿場じみた漁村であつた。前に小さな浅さうな入江があつて、山蔭の事でぴつたりと静まつてゐる。一わたり歩いてみた所では宿屋らしい家も見えず、腰かけて休むべき店すら見つからぬ。此処が松輪かと訊くと、左様だといふ。兼ねて想像してゐた松輪には小綺
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