となり、汀からいたゞきにかけ、みつちりと稚松が茂つてゐた。寺の横から岡を越えて裏に出ると、廣い湖面に臨んだ小さな斷崖となつてゐた。腰をおろし、帽をぬげば、よく風が吹いた。そして漸く私は、
『ヤレ、ヤレ。』
 といふ氣になつた。
 湖には釣舟が幾つか浮び、三味線太鼓の起つて居る所謂遊覽船も一艘見えてゐた。風のためか日光のせゐか、湖いちめんがほの白く輝いて見えた。岡の松はみな赤松であつた。そしてその下草にところ/″\山梔子《くちなし》が咲いてゐた。花の頃の思はるるほど、躑躅の木も多かつた。岡のあちこちに設けられた小徑はまだ眞新しく、新聞紙など散らばつてゐた。惜しいと思つたは稚松の間に混つてゐた椎の老木を幾つとなく伐り倒したことで、みな一抱へ二抱への大きいものであつたらしい。恐らく美しい小松ばかりの山にせむために伐つたものであらう。
 二十分もかゝつたか、私は岡を巡つて寺に出た。次の船の來る迄にはまだ二時間もある。止むなく寺の前の料理兼旅館の山水館といふに寄つた。上にあがればめんだうになると思つたので、庭づたひに奧に通つて其處の縁側に腰かけながら、兎に角一杯を註文した。
 庭さきの水際の生簀《いけす》に一人の男が出て行つた。私のために何か料理するものらしい。そして當然鯉か鮒が其處から掬ひ上げられるものとのみ思ふて何氣なく眺めてゐた私は少なからず驚いた。思はず立ち上つてその手網を見に行つた。見ごとな鯒《こち》がその中に跳ねてゐた。
『ホヽウ、此處に海の魚がゐるのかネ。』
 番頭の方が寧ろ不思議さうに私を見た。
『よく釣れます、今朝お立ちになつたお客樣はほんの立ちがけに子鯖を二十から釣つてお持ちになりました。』
 宿屋の前は背後の岡と同じ樣な小松の岡にとりかこまれた小さな入江になつてゐた。入江といふより大きな淵か池である。青んで湛へた水面には岸の松樹の影がつばらかに映つて居る。其處から鯖の子を釣りあぐる……、何としても私には變な氣がした。聞けば今は子鯖とかははぎ[#「かははぎ」に傍点]の釣れる盛りだといふ。かははぎ[#「かははぎ」に傍点]は皮剥ぎの謂《いひ》で、形の可笑しな魚だが、肉がしまつてゐておいしい。私の好物の一つである。兎に角、濱名湖は淡水湖なりや鹹水湖《かんすゐこ》なりやとむづかしく考へずとも、汽船で一時間も奧に入り込んで來た此處等のこの山の蔭にこれらの魚が棲んでゐやうとはどうも考へにくい事であつた。
 館山寺前の入江を出た船は袋の口の樣な細い入口を通つてまた他の入江に入つて行つた。此處はやや大きく、引佐細江《いなさほそえ》といふ。細江の奧、下氣賀《しもけが》で船を乘換へた。今度の小さな發動機船は入江を離れて、堀割りに似た都田川といふを溯るのである。川の西岸にうち開けて、ひたひたに水をたゝへてゐる廣田には何やら藺《ゐ》の樣なものがいちめんに植ゑ込んである。乘合の婦人に尋ぬると、あれはルイキユウ[#「ルイキユウ」に傍点]ですとのことであつた。
 氣賀町《けがまち》に上つた私は迷つた。豫定どほりだと其儘輕便鐵道に乘つて終點奧山村に到り半僧坊に詣でて一泊、翌日は陣座峠といふを越えて三河に入り、新城町《しんしろまち》に病臥してゐる友人を見舞ひ、天氣都合がよければ鳳來寺山に登つて佛法僧を聽く、といふのであつた。が、氣賀町には我等の歌の結社創作社社友Y――君が住んでゐた。自分の身體の具合もあるので今度は途中誰にも逢はないで行き過ぎるつもりで出て來たのだが、サテ、實際その人の土地に入り込んで見ると一寸でも逢つてゆきたい。それこそ玄關でゝも逢つて、それから輕便鐵道に急いでも遲くはあるまいと、通りがかりの女學生に訊くとこの友の家は直ぐ解つた。
 私の名を聞いて奧から出て來た背の高い友の白髮は、この前逢つた時より一層ひどいものに眼についた。その細君には初對面であつた。頻りに固辭したが、終《つひ》に下駄をぬがせられ、やがて一晩厄介になる事になつてしまつた。そして夕飯の仕度の出來るまで、近くを散歩した。公園の何山とかいふに登れば眺望がいゝとの事であつたが、勞れてゐて出來なかつた。錢湯に行くすら億劫《おくくふ》であつた。勞れるわけはないのだが、久し振に家を出た氣づかれとでもいふであらう。或は失敗勞れであつたかも知れぬ。
 氣賀町は寂びて靜かな町に見えた。昔、何街道とかの要所に當り、關所の趾をそのまゝにとつてある家などあつた。町はづれを淺く清らかな伊井谷川が流れてゐた。橋に立つて見ると、鮎や鮠《はや》の群れて遊んでゐるのがよく見えた。泳いでゐる魚の姿を久し振に見た。
 この友はこの附近で小學校の校長を長い間やつてゐた。それをこの四月にやめて、今は土地に新設された實科女學校に出てゐるとの事であつた。廣くもない庭に、植ゑも植ゑたり、蟻の這ふ隙間もないまでに色
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