今日はもう一つ私は失敗をやつてゐた。鷲津までの切符を買つてゐながら一つ手前の新居町驛で汽車を降りた。濱名湖が見え出すと妙に氣がせいて、ともすると新居町から汽船が出るのではないか知らといふ氣になつたからであつた。が、矢張り淡い記憶の通り、鷲津から出るのであつた。そして通りがかりの自動車を雇つて鷲津の汽船發着所へ着いたのである。然しその時の船はもう出てゐた。次の正午發まで一時間半ほど待たねばならぬ。そして私は酒をとつた。朝飯を五時に濟まして來たので妙に食慾があり、茶店で出した肴だけでは足りなかつた。茶店の婆さんは附近の宿屋だか料理屋だかに電話をかけて二三品のものを取り寄せて呉れた。それこれの勘定が間違のもとゝなつたわけである。
 永年の酒の毒が漸く身體に表れて來た。ことに大厄だといふ今年の正月あたりからめつきりと五體の其處此處に出て來た。この半年、外出らしい外出すらしないで私は部屋に籠つてゐた。花のころ、若葉のころ、毎年必ず出かけてゐた旅にもよう出ないで、我慢してゐた。それがこの梅雨の季節に入つていよ/\頭が鬱して來た。いつそ息拔きに何處かへ出かけてゞも見るがよくはないかと自分にも思ひ、家人も言ふので企てられた今度のこの濱名湖めぐりから三河行の小さな旅行であつた。そしてその第一日早々から重ねられたこれらの失敗であつた。
 湖全體を一周するには別に船を仕立てねばならなかつた。私の乘つたのは鷲津から湖の西岸に沿うて氣賀町まで行くものであつた。肌ぬぎの爺さんはいろ/\と山や土地の名などを教へて呉れた。梅雨晴とも梅雨曇とも云ひ得る重い日和で、うす濁りの波の色は黒く見えた。湖を圍む低い端山《はやま》の列も黒かつた。物洗ひ場かとも見ゆる簡單な船着場に二三度船は止つて、一時間もした頃|館山寺《くわんざんじ》に着いた。私は裾を端折《はしよ》つて降《お》り仕度をしながら、いかにも酒ずきらしいこの爺さんに言つた。
『お爺さん、一緒に降りませんか、次の船の來る間、一杯御馳走しませう。』
 爺さんは仰山に打ち消した。
『とんでもねエ、わしはこれで氣賀で降りて、其處から荷物を背負つてまだ五里も歩かなくちやならねエ。』
 館山寺《くわんざんじ》は古い由緒のある寺だとかだが、ひどくすたれて、此頃ではたゞ新しい遊覽地として聞え出して來た、と謂つた所であつた。殆んど島かと見ゆる小さな半島全體が圓やかな岡
前へ 次へ
全12ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
若山 牧水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング