。玉をまろがすと言つては明るきに過ぎ、帛《きぬ》を裂くと言つては鋭きに過ぐる。無論、佛《ブツ》、法《ポウ》、僧《ソウ》などの乾いた音色《ねいろ》ではゆめさら無く、郭公、筒鳥の寂びた聲に較べては更に數段の強みがあり、つやがある。眼前に見る大きな山全體のたましひのさまよひ歩く聲だとも言ひたいほど、何とも形容する事の出來ない聲である。
『ア、啼く、啼く、……』
私はいつか窓際にすり出て、兩手を耳にあて、息を引きながら聽き入つた。相變らず所を移して啼く。一聲二聲啼いては所を變へる。暫くも同じところに留らない。ともすれば、山そのものが動いてゐるかとも聞きなさるることすらある。
私は膳を窓側の縁に移した。一杯飮んでは耳に手をあて、一杯飮んでは眼を瞑《つむ》つた。二三本も飮んだが、一向に醉はない。
『よう啼きますやろ。』
宿のお婆さんが笑ひながらお銚子を持つて來た。流石に私もきまりが惡くなり、それを濟ますと床についた。
この鳥の啼聲を文字に移し得ざる事を憾む。内田清之助博士著『鳥の研究』の中に「高野山中學校教諭榎本氏が幾年かに渉つて聞かれた所によれば次の如くである。」として、
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この鳥の啼く聲はギヨブツコー、ギヨブツコー、或はグブツクオーと聽えるものを凡そ一秒弱の間を※[#「※」は「插」のつくりの縦棒が下に突き抜けている、210−13]んで繰返し、時々はギヨブツクオー、コー、或はギヨブツ、ギヨブツ、クオーを加へる。ギヨブツクオー、コー、の場合には第二音クオーと第三音コーとの間に、第一音と第二音との間よりも、少し長い間を置き、且つ第三音コーは第二音よりも調子低く、またギヨブツ、ギヨブツ、クオーの場合には各間隙に長短はなく、殆んど三音を連唱する。下略。
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云々と書いてある。流石によく調べてある。強ひて書けば先づ斯うであらう。が、本物《ほんもの》とこれとの差は雀と佛法僧との差に相等しい。
枕許の水を飮むために眼を覺す。
啼いてゐる。
夜の更けたゝめか、或は麓近く移つて來たか、宵の口より一層澄んで聞える。
起きて窓に凭ると、月も曇を拭つて照つてゐた。山の森の茂みにも月の光があつた。そして、宵の口は多く右の、ギヨブツコー、ギヨブツコー、の二聲づつを啼いたに夜の更けてからは、ギヨブツ、ギヨブツ、コーの三聲を續ける啼きかたをしてゐ
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