私も今更ながら改めて眼の前にぼんやり立つてゐる大きな、皺だらけの人を見守らざるを得なかつた。
やがてその爺さんに案内せられて私は溪の方へ降りて行つた。今までの處より杉はいよ/\古く、徑は段々細くなつた。そして、なか/\遠い。隨分遠いのだなといふと、なアに今の茶店から七町しか無いといふ。近所に他にお寺でもあるのかと聞くと、釋迦堂が一番近いが其處には人がゐないのだから先づ一軒だちの樣なものだといふ。
なるほど四方を深い木立に距てられた一軒だちの寺であつた。外見は如何にも壯大な堂宇だが、中に入つて見るとその荒れてゐるのが著しく眼に付く。この部屋を兎に角掃除しておいたから、と言はれて或る部屋に入つて行くと疊はじめ/\と足に觸れて、眞中の圍爐裡《ゐろり》には火が山の樣に熾《おこ》つて居た。ぼんやりと坐つてゐると、何やらはら/\と烈しく聞えて來た。縁側に出てみると、いつの間にかまた眞白に霧が罩めて大粒の雨が降り出してゐた。
底本:「若山牧水全集 第五卷」雄鷄社
1958(昭和33)年8月30日発行
入力:kamille
校正:小林繁雄
2004年7月13日作成
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