は出來ぬが今日山を下るのなら早う來て飯を食ひなされ、と言つたのに業《ごふ》を煮やし、早速引き上げることに決心して、早速其處を飛び出した。そして、一應山内の重なところだけでも見て來ようと獨りぶらぶらと山みちを歩き出した。まだ朝が早いので一山の本堂とも云ふべき根本《こんぽん》中堂といふ大きな御堂の扉もあいて居らず、行き逢ふ人もなく、心細く細かな徑を歩いて居ると次第に烈しく杉の梢から雫が落ちて來る。種々の期待に裏切らるる事に此頃では私も馴れて來た。あれほど樂しんで來たこの山も、斯んな有樣で早々引き上げねばならぬのかと思ふと實に馬鹿々々しくてならぬのだが、その下からまた直ぐ次の計畫を考へるだけの餘裕も出來てゐた。今日この山を降りて、何處か湖畔の靜かなところを探し、其處で例の仕事を片附けようと思ひついてゐたのである。
 何とも言へぬ深い感じのする山である。その日は四方を霧が罩《こ》めてゐたせゐか、特にその樣に思はれた。木立の梢には折々風が立つらしく、急にばら/\と大きい雫が散亂して、見上ぐれば眞白な雲か霧か颯々と走り續いてゐる。梢ばかりでなく、歩いてゐる身近にも茂つた青い木や草が頻りに搖れ靡いて、立ち止つて眺めて居れば何だか恐ろしい樣な思ひも湧く。
 根本中堂から十三丁とかある樣に道標に記された淨土院を訪はうと私は歩いてゐた。淨土院は當山の開祖傳教大師の遺骨を納めた寺で、この大正十年が同大師の一千一百年忌に當るのだ相だ。一時は三千坊とか稱へて山内全部に寺院が建ち並んでゐた相だが、今では寺の數三十ほど、そのうち人の住んでゐるのは僅か十六七だらうといふことである。山の廣さ五里四方と云ひ、到る處杉檜が空を掩うて茂つてゐる。ちやうど通りかかつた徑が峠みた樣になつてゐる處に一軒の小さな茶店があつた。動きやまぬ霧はその古びた軒にも流れてゐて、覗いてみれば小屋の中で一人の老爺が頻りと火を焚いてゐる。その赤い色がいかにも可懷《なつか》しく、ふら/\と私は立ち寄つた。思ひがけぬ時刻の客に老爺は驚いて小屋から出て來た。髮も頬鬚も殆んど白くなつた頑丈な大男で、一口二口話し合つてゐるうちにいかにも人のいい老爺である事を私は感じた。そして言ふともなく昨夜からの愚痴を言つて、何處か爺さんの知つてゐる寺で、五六日泊めて呉れる樣なところはあるまいかと訊いてみた。暫く考へてゐたが、あります、一つ行つて聞いて見
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