れてあつた。通された二階は全部雨戸が閉ざされて俄に引きあけた一室には明るく射し込んだ夕日と共に落ち溜つた塵埃《ぢんあい》の香がまざ/\と匂ひ立つた。湯ばかりは清く澄み湛へてゐたが、その流し場にはほんの一部を除いて處狹く例の松毬が取り入れられてあつた。これを碎いて中のこまかな種子を取れば一升四圓とかの値段で賣れるのださうである。そのために二三人の男が宿屋の庭で默々と働いてゐた。
部屋に歸つて改めて障子を開くと眩ゆい夕日の輝いてゐる眞正面に近々と燒嶽が聳えてゐた。峯から噴きあぐる煙は折柄の西日を背に負うて、さながら暴風雨の後の雲の樣に打ち亂れて立ち昇つてゐるのであつた。
その夜は陰暦九月の滿月をその山上の一軒家で心ゆくばかりに仰ぎ眺めた。そして、月を見つ酒を酌みつしながら、私は白骨から連れて來た老爺を口説《くど》き落して案内させ、終《つひ》にその翌日一時諦めてゐた燒嶽登山を遂行することになつたのであつた。
山の頂上に着いたのは既に正午に近かつた。晴れに晴れ、澄みに澄んだ秋空のもと、濛々と立ち昇る白煙を草鞋の下に踏んだ時の心持をば今でもうら悲しいまでにはつきりと思ひ出す。この火山は阿蘇や淺間などの樣に一個の巨大な噴火口を有つことなく、山の八九合目より頂上にかけ、殆んど到る處の岩石の裂目から煙を噴き出してゐるのであつた。その煙の中に立つて眞向ひに聳えた槍嶽穗高嶽を初め、飛騨《ひだ》信州路の山脈、または甲州から遠く越中加賀あたりへかけての諸々の大きな山岳を眺め渡した氣持もまた忘れがたいものである。更にあちらが木曾路に當ると教へられて振向くと其處の地平には霞が低く棚引いて、これはまた思ひもかけぬ富士の高嶺が獨り寂然《じやくねん》として霞の上に輝いてゐたのである。
頂上から今度は路を飛騨地にとつて昨日よりも更に深い森林の中に入つた。まことにこれこそ千古のまゝの森といふのであらう。見ゆる限り押し竝んだ巨樹老木の間に間々立枯のそれを見ることがあるとはいへ、唯の一本もまだ人間の手で伐り倒されたらしいものを見ないのである。第一、私には斯うした火山の麓に斯うした大森林のあるのからが不思議に思はれた。森の中を下る事二里あまり、一つの川に沿うた。川に沿うて下る事約一里、蒲田温泉があつた。其處に泊る事にきめて來たのであつたが、昨年とか一昨年とかの大洪水に洗ひ流されたまゝまだ殆んど温泉場らしい形をも作つてゐなかつた。更に下ること二里、福地温泉があつた。此處は全く影をも留めず洗ひ流されてゐた。
止むなく其處から寒月に照らされながら更に二里の山路を歩いて平湯《ひらゆ》温泉といふに辿《たど》り着いた。此處は謂はゞ飛騨の白骨温泉ともいふべく、飛騨路一帶から登つて來た骨休めの農夫たちで意外な賑ひを見せてゐた。
この平湯温泉から安房峠《あばうたうげ》といふを越えて約四里、信州白骨へ通ずるのである。即ち白骨、上高地、平湯《ひらゆ》其他の諸温泉が相結んで一個の燒嶽火山を圍んでゐるのである。之等の諸温泉はひとしくみな高山の上にあつて、所謂《いはゆる》世間の温泉らしい温泉と遠く相離《あひさか》つてゐる。それがまた私には嬉しかつた。折があらばまたこの三つ四つの山の湯を廻つて見度いと思ふ。唯私はあらゆる場合に於て大勢の人たちのこみ合ふ中に入つて行くことが嫌ひである。で、よし行くにしても七八月の登山期、若しくは蠶あがりの頃には行きたくない。
因《ちなみ》にいふ、平湯はたしかに一年中あるであらうが、白骨も上高地も雪の來るのを終りとして宿を閉ぢて、一同悉く麓の里に降つてしまふのである。
底本:「若山牧水全集 第七卷」雄鷄社
1958(昭和33)年11月30日発行
入力:柴 武志
校正:林 幸雄
2001年6月20日公開
2005年11月17日修正
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