眼につく。さほど高いといふでないが他とやゝ離れて孤立し、あらはに禿げた山肌は時に赤錆びて見え時に白茶けて見えた。そしてその頂上から、また山腹の窪みから絶えずほの白い煙を噴いてゐる。考ふるまでもなくそれは乘鞍嶽に隣つてゐる燒嶽である。
 私は前から火山といふものに心を惹《ひ》かれがちであつた。あらはに煙を上げてをるもよく、噴き絶えてたゞ山の頂きをのみ見せて居るも嬉しく、または夙うの昔に息をとゞめて靜かに水を堪へてをるその噴火口の跡を見るも好ましい。で、永滞在のつれ/″\に私は折があればその尾根に登つてこの燒嶽の煙を見ることを喜んだ。そしてどうかして一度その山の頂上まで登つて見たいと思ひ出した。が、もう其處に登るには時が遲れてゐて、宿屋の主人も番頭も私のこの申し出でに對して殆んど相手にならなかつた。止むなくそれをば斷念して、せめてその山の中腹を一巡し、中腹のところどころに在ると聞く二三の温泉にでも入つて來ようと思ひ立つた。
 私はまた温泉といふものをも愛してをる。同じ温度の湯でも、たゞの水を人の手で沸かしたものより、この地の底の何處からか湧いて來る自然の湯にいひ難い愛着を感ずるのである。色あるも妨げず、澄みたるは更によく、匂ひあるも無きも、手ざはり荒きも軟かきも、すべてこの大地の底から湧いて來る温かい泉こそはなつかしいものである。其處に靜かに浸つてゐると、そゞろに大地のこころに抱かれてゞもゐる樣な心やすさが感ぜられる。
 十月十五日、私は白骨《しらほね》温泉の宿屋の作男を案内として先づ燒嶽のツイ麓に在る上高地温泉に向うた。行程四里、道は多く太古からの原始林の中を通じてゐた。そして其廣大な密林を通り過ぎると、大正三年燒嶽の大噴火の名殘だといふ荒涼たる山海嘯《やまつなみ》の跡があり、再びまた寂び果てた森なかを歩いてやがて上高地温泉に着いた。一軒建の温泉宿はその森のはづれに、山の上とは思はれぬ大きな川を前にしてひつそりと建つてゐた。川は梓川である。
 上高地温泉といへば日本アルプスの名と共に殆んど一般的に聞えた所であるが、アルプス登山期が七月中旬から八月中旬に限られてある樣に、その時期を過ぐれば此處もほんの山上の一軒家になり終るのである。況して私どもの辿りついた十月なかばといふには無論のこと一人の客もなく、家には玄關からして一杯に落葉松《からまつ》の松毬《まつかさ》が積み込ま
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