をあけすてたまゝ、屋内には早や一個の人影をも留めてゐなかつた。そしてずつと山の手寄りの田圃の間に一かたまりに集つて海面に見入つてゐるのが見えた。
部落を通り拔けて舊道を登りにかゝると、其處には木立のたちこんだ間に、幾つかの龜裂の出來てゐるのが見えた。荒れ古びた小徑の草むらの中には先から先と大小の石塊が眞新しく轉げ落ちてゐた。とても徐歩する事が出來ず、小走りに走つてその山蔭の村立保へと降りて行つた。
此處の龜裂は古宇より更にひどかつた。か細い女の身で大きな箪笥を横背負に背負ひ込んで山手の方へ青田中を急いでゐる者や、米俵を引つ擔いで走つてゐる若者などが入り亂れて見えてゐた。海岸の高みには老人たちが五六人額をあつめて遠くの海上を眺めてゐた。
郵便局に行くと一人の老人を廣い庭の眞中に寢かして、二三人の若い女が手に/\傘を持つてその周圍に日を遮つてゐた。病人らしかつた。案の如く電報電話とも不通であつた。心休めに、若し通ずる樣になつたら早速これを頼みますと頼信紙を頼んでおいて、二人はまた山の舊道を越えた。
古宇の村はづれにかゝると、土地の青年團の一人がわざ/\我々の方に歩いて來て、
『今夜は津浪が來るさうですから直ぐ彼處に行つてゝ下さい、村の者は皆行つてゐますから。』
と山の方を指ざした。坐りもやらず群衆は其處に群つてゐる。
『難有《ありがた》う!』
海岸に似合はない人氣のいゝ人情の純なこの村の氣風を、改めてこの紅顏の一青年に見出しながら私達は禮を言つて急いで宿に歸つた。
宿でも評定《ひやうぢよう》が開かれてゐた。元來いま歸りがけに見て來たところでは村内全部が雨戸を閉ぢて山の方へ引上げてゐるので、まだ平常のまゝに戸をあけてゐるといふのはこの宿屋一軒きりであつたのだ。それを私は私たちに對する宿の遠慮からだとおもつた。で、いま途中で逢つて來た青年の勸告のことを告げて、一緒にこれから立ち退かうと申し出た。
『それがネ旦那』
宿の婆さん――主人の母で七十近くの――が私の側に寄つて來た。そして安政二年にも地震と共に大津浪がやつて來て、この古宇村全帶を破壞し、洗ひ浚《さら》つて行つたことがある。その時に不思議にも此處一軒だけは地震にも崩れず、津浪にも浚はれず、人々に奇異の思ひをさせたのであつたが、もともとこの家は裏の山續きの岩を切り拓いてその上に建てたものであり、また僅かの
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