をさへ加へた。焦燥はやがて一つの決心を私に與へた。
『よし、行つて來よう、行つて見て來よう!』
 さう思ひ立つともう大抵無事だと解つてゐる三島の方へなど行つてはゐられなかつた。三島はあと※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]しだ、と思ひ捨てながらとつとゝ踵をかへして歩き始めた。
 家に歸つてから妻との間にいろ/\の問答や相談が繰返された。入京の非常に難儀なこと、私自身の健康のこと、旅費のこと、それからそれと頭の痛くなるほど繰返されてゐるところへ、ひよつこり庭先へ服部純雄さんがやつて來た。彼は昨日岡山から職員總代、學生總代其他と三人の人を連れて、
『君たちを掘り出すつもりでやつて來たのだが、まア/\噂《うはさ》の樣でなくてよかつた。』
 と、言ひながら、その明るい笑顏を見せたのであつた。關西地方では最初沼津地方激震死傷數千云々といふ風に傳へられ、それに驚いて飛んで來たのであつたさうだ。その服部さんが勇しい扮裝を見せながら、『とても君危險で箱根から向うには行けないさうだ、此處まで來たついでに東京まで行つてやらうといま町でいろ/\用意をしたんだが……』
 と、その種々の危險を物語つた。
『それではあなたにも到底駄目ですネ。』
 と諦め顏に細君が私を見た。
 そして、その日の夕方、代りに大悟法君が萬難を冒して出かくるといふことに事は急變したのであつた。
 明けて六日の午前中、大悟法君と二人沼津中を馳け※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて用意を整へ、正午、折柄安否を氣遣つて伊豆から渡つて來て呉れた高島富峯君と共に大悟法君の悲壯な出立を沼津驛に見送つたのであつた。

 箱根を越え、御殿場を越えて逃げて來た所謂《いはゆる》罹災民の悲慘な姿で沼津驛前あたりが一種の修羅場化してゐる話をば人づてに聞いてゐたが、私が直接にさうした人を見たのはその六日の夕方、自宅の庭に於てゞあつた。
 玄關に立つてゐる異樣ないでたちの青年に見覺えはあつたが、直ぐには思ひ出せなかつた。名乘られて見ればそれは三年ほど前に、當時長野市にゐた紫山武矩君方で逢つた同君の末弟四郎君であつた。
『ア、さうでしたネ、さアお上んなさい。』
『まだ二人ほど連れがあるんですが……』
『どうぞ、お呼びなさい。』
 一人は四郎君のすぐ上の兄さんで早稻田大學、一人はその友人で農科大學の學生だと解つたが、三人とも古びた半
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