いろいろの魚の姿がよく見えました。細長い姿のさより[#「さより」に傍点]やうぐい[#「うぐい」に傍点]はその群までも細長く續いて、折れつ伸びつ、ちよこ/\と泳いで行き、黒鯛はおほく獨りぽつちでぼんやりとその大きな體を浮かせ、何か事があるとぴん[#「ぴん」に傍点]と打たれたやうにかき沈んで忽ち何處へやら消え去りました。折々雨の降り出したかの樣にぴよん/\ぴよん/\こまやかな音を立てゝ水面に跳ねあがり、それが朝日か夕日かを受けて居れば、青やかな銀色に輝くのはしこ[#「しこ」に傍点]の密群でした。若しこの大群がやゝ遠くを過ぐる時は、海面が急にうす黝《ぐろ》く皺ばむのでした。その他、名も知らぬ魚の族がいろいろの色や形で我等の面前に現はれました。中に一つ、土地では海金魚とか言つてゐましたが、樫の葉くらゐの大きさで、それこそ若葉の日に透いた樣な眞みどりの魚が始終其處の大きな岩の蔭に泳いでゐました。二三疋から五六疋どまりの群で引汐の時には見えなくなり、上げ汐となればきまつてその岩の蔭にやつて來ました。これは六つに九つの姉妹の一番の仲好しで、兩人競爭してこの眞みどりの着物をつけた友だちの現はれるのを待つてゐるのでした。ほかにまた、これは少々厄介者でしたが海丹《うに》がゐました。これも上げ汐につれずつと海岸沿ひに一列になつて押し寄せて來るのです。例の栗の毬《いが》の形で、いつ動くとなくむんづ/\とやつて來るのです。見てゐれば可憐ですけれど、泳ぎの時に若し誤つて此奴を踏まうなら、彼は忽ちその黒紫の毬を足裏の肉深く刺し通すのです。拔かうとすれば折れて殘り、やがてじく/\と痛み出します。僅に脱脂綿に酢を含ませて局部にあて、痛みの去るのを待つほかはないのです。いゝことに、此奴案外に神經質と見え、泳ぎの場所近くやつて來たと見れば宿から物乾竿を持ち出してその一群の中の五つ六つを突きつぶすのです。すると四邊四五間四方位ゐに群れてゐた連中はいつ動くとなくまた何處へともなく逃げ隱れて行くのです。そして少なくとも一兩日の間は其處に姿を見せませんでした。
魚の話のついでに釣の事を申しませう。
私の釣りに行つたのは多く磯魚でした。土地では根魚と呼んでゐます。海底が磯になつてゐる所即ち砂でなくて石や岩の重疊した樣な場所にのみ居る魚の總稱です。味は一體に大味ですが、色や形には誠に見ごとなのゝ多いのが特色です。かさご、あかぎ、ごんずい、くしろ、おこぜ、海鰻、その他なほ數種、幾ら聞いても直ぐ忘れてしまふ樣な奇怪な名を持つた魚たちが四邊《あたり》の海で釣れました。餌はしこ[#「しこ」に傍点]、またその一族のはま何とかいふさより[#「さより」に傍点]に似た細身の魚を最上とし、それが間に合はずば大方の魚の切肉《きりみ》、即ち共餌《ともえ》ででも釣れるのです。岡からも釣れますが、どうしても船です。一體に此處の入江は入江としては非常に深く、ことに岸から直ぐずつと深く切れ込んでゐる深みが多いのです。その深み――所によれば二三十尋に及びました――に舷から絲を垂れて釣るのです。
技巧は簡單で、舷に掌を置き、そして親指と人差指との間に持つて垂れた釣絲の感觸によつて魚の寄りを知り、やがて程を見て手速く船の中に卷き上ぐるのです。唯だ絲の降りてゐる海底が岩石原であるため、馴れないうちはよく鉤《はり》をそれに引つ懸けました。宿の主人が名人とやらで、それに教はつて釣り始めたのですが、三度四度と行くうちにいつか主人より私の方が餘計釣る樣になりました。親爺《おやぢ》負惜しんで曰く、
『おめえたちは指がびるつこいせえに追つつかねヱ。』
びるつこい[#「びるつこい」に傍点]とは柔かな、せえに[#「せえに」に傍点]は故にの意。蓋し指の柔かなためいち速く絲の感觸を受くるから釣りいゝのだとの事でせう。
何しろ二三十尋もある深みの底から一尺大のかさご[#「かさご」に傍点]などがその大きな口をあいて、一條の絲につれて重々とあがつて來る時の指から腕、腕から頭にかけての感覺の面白さはまつたく別でした。海鰻は淺い所でも釣れました。だからその海底に魚の姿を見ながらに釣れるのです。大瀬崎といふ岬の蔭の磯に此奴の無數に棲んでゐる所がありました。此處では先づ用意して行つた魚の腸(臭い程いゝの故、腐つてゐればなほよし)を海中に投じ、徐ろに其處等の岩や石の間を窺《のぞ》いてゐるのです。すると間もなく赤黄色の斑のある海鰻先生がどの石の蔭からともなくのろつと現はれます。出たぞ、と絲をおろすころには、出るは/\、のろり/\と大きな七五三繩《しめなわ》の繩片のやうな奴が縒《よ》れつ縺《もつ》れつ岩から岩の蔭を傳うて泳ぎ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]ります。それの鼻先へ(この先生、眼がろくに見えず唯だ匂だけで動くのださうです
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