、だから餘計に間が拔けて見えます)餌を突きつけて釣るのですからわけはありません。但し此奴釣りあげてから厄介で、私などの細指をば唯だの一噛みで噛み切らうといふ鋭い齒を持つてゐるので、鉤《はり》をはづすが大難澁、私など大抵一匹ごとに鉤《はり》を切つて新たなのを用ゐました。大きいのになると幅二三寸長さ二三尺のものがゐました。形美ならず、味また不美。
思ひ出して來るといろ/\ありますが、もう一つ、毎日の夕方の事を書いてこれを終りませう。ア、朝起きてから顏も洗はずに、まだ日のさゝぬうす黒い海面へ庭さきからざぶりと飛び込む愉快さをも書き落してゐましたね。
この村から毎日早朝沼津へ向けて出る發動機船があります。そしてそれは午後の四時、五時の頃に村へ歸つて來るのです。私はいち速くこの船の人たちと懇意になつて、いろ/\と便宜を得ました。そんな佗しい漁村の、そんな佗しい宿屋のことで、何も御馳走がありません。殆んど自炊をしてゐる形で私たちは其處の一月を送つたのですが、その食料品をば全てこの發動機船に頼んで沼津から取り寄せたのです。そればかりでなく、沼津の留守宅から※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]送して來る郵便や新聞等も途中一二箇所の郵便局の手を經るよりもこの船に頼んで持つて來て貰ふ方がずつと速かつたのです。
夕方の四時近く、いつとなく夕涼が動き出して西日を受けた入江の海の小波が白々と輝き出した頃、泳ぎに疲れた二階の一家族は誰かれとなく一樣に沖の方に眼を注ぎます。
『來た、來た、壯快丸が見えますよ、父さん!』
兄が斯う叫びます。
『どれ、どれ、……うゝん、あれは常盤丸だよ、壯快丸ではないよ。』
『嘘《うそ》言つてらア、御らんよ、ぺんきが白ぢやァないか。』
『ア、さうだ、今日も兄さんに先に見附けられた、つまんないなア。』
と妹が呟きます。
大抵親子二三人してその壯快丸の着く所へ出懸けます。そして野菜や(海岸には大抵何處でもこれが少ない)肉や郵便物を受取つてめい/\に持つて歸ります。歸つてから兄は水汲み、妻は七輪、父親はまた手網を持つて岸近く浮けてある生簀《いけす》に釣り溜めておいた魚をすくひに泳ぎ出すのです。
八月が終りかけると母と子供とは學校があるので家の方に歸り去り、父親一人は釣に未練を殘してもう二三日とその宿に殘りましたが、越えて九月一日の正午、例の大地震を食
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