里程で船原温泉に出、一は六里程で修善寺温泉に越ゆるのです。二日も三日も汽船が出ないとなると爲方《しかた》がなしに人足を雇つてはその峠へかゝつてゆく女連《をんなづれ》子供連《こどもづれ》の客が見かけられます。
私はこの五六年、毎年正月元日に此處にやつて來てゐます。朝暗いうちに自宅で屠蘇《とそ》を祝つて、五時沼津の狩野川河口を出る汽船に乘るのです。幸ひと今迄この元日には船が止りませんでした。然し毎年相當に荒れました。私は船に強いので、平氣で甲板に出て荒浪の中をゆく自分の小さな汽船の搖れざまを見てゐます。晴れゝば背後に聳えた富士をその白浪のうへに仰ぐことになります。河口を出て靜浦江の浦の入江の口を横切り大瀬崎の端へかゝると船は切りそいだ樣な斷崖の下に沿うてゆくことになります。十丈二十丈の高さの斷崖の頭の方は篠笹の原か茅《かや》の野になつて居り、その下は殆んど直角に切り落ちて露出した岩の壁です。冬のことで、篠笹原はうすい緑の柔かなふくらみを持つて廣がつて居り、枯茅の野は鮮かな代赭色《たいしやいろ》に染つてゐます。そして岩壁は多くうす赤い物々しい色をして聳えてゐます。
その眞下に立つ浪の中
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