ると出る客も入る客もなくなり、新聞は來ず、郵便は遲れる。郵便だけは荒れが續けば山を越えて來ますが、平常は矢張り船に據つてゐるのです。すべてを沼津から取つてゐる御馳走も杜絶えるといふ始末で、たゞもうおとなしく湯の中に浸つてゐるほかはありません。
要するに梅の初花を見に來るお湯でありませう。しかも野の梅です。すべてにさういつた趣きを此處の湯は持つてゐます。多分私は今後もその花を見にやつて來ることゝ思ひます。
梅を見るには此處に、そして山櫻の花を見るためには私は毎年矢張りこの伊豆の天城山の北麓にある湯が島温泉へ出かけてゐます。いづれまた其處のことはその時に書きませう。
ところで、M――兄。
今朝の地震には嚇《おど》かされました。何しろ地震と聞くと妙に神經質になつてゐるものですからですが、今朝のは確かに恐しい一つでした。戸外に逃げ出した寒さを拂はうと急いで湯殿へ駈けつけてまた驚きました。湯が眞白に濁つてゐるのです。地の中がどんな具合で搖れるのかとその湯に浸りながら考へました。この調子では屹度《きつと》また何處ぞがひどくやられてゐる事と思ひます。ほんたうにいやな事だ。
ではこれで失禮します。一月十五日。伊豆土肥温泉土肥館にて。
底本:「若山牧水全集 第七卷」雄鷄社
1958(昭和33)年11月30日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴 武志
校正:浅原庸子
2001年6月14日公開
2005年11月17日修正
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